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日めくり汀女俳句 №89 [ことだま五七五]

九月二十一日~九月二十三日

    俳句  仲村汀女・文  中村一枝

九月二十一日
黙々と人駅を埋め颱風裡
       『紅白梅』 台風=秋
 日本の台風はお国柄を反映している。右に高気圧あれば左に動き、上に低気圧あれば便
乗し、あっちこっち気兼ねもし、お世辞も言い、その癖どこか呑気な物見遊山風で、お陰
で関係のない地域に大雨だった。
 その点強大な力でそこいら中をなぎ倒していくハリケーンとは違う。治山治水は、古く
から政治家心得の要諦だった。それは今も同じ、ただ上に立つ者がすっかりその気をなく
しているようだ。封建時代でも、名君は民衆の納得する政治を心掛けたものである。ただ
名君なんて半世紀以上出ていないのだが。

九月二十二日
稲妻の華やぎ快しと開く夜かな
          『軒紅梅』 稲妻=秋
 今年は本当に雷が多い。九月に入っても雲の上をばりばりはね回っている。子供の時、私の母は大の雷嫌い。雷鳴がすると直ぐ蚊帳を吊った。吊り金具に落雷するからと、金具を全部布で包んだ。蚊帳の中に鋏(はさい)を持ち込んでいると「危ない」と金切り声がとんだ。母方の祖母が雷嫌いだったらしい。
 三代目の私は、もっと雷に弱かった。新婚の頃汗びっしょりになって毛布をかぶっている私を見て、夫はびっくりしていた。稲妻の情景をいくつも句にしている汀女は、音も光も充分楽しんだ。怖がりではなかった。

九月二十三日
草虫の動き得し所苔の庭
       『電気と文芸」大正九年十一月号 虫=秋
 汀女の結婚の年月日が違っていると指摘したのは、杉田久女の長女石昌子さん。久女に就て書かれた文章の中では韜晦(とうかい)という言葉を使っている。私は意図的な改ざんとは断定できないが、指摘の正しいことは後日、「熊本日々」の井上智重氏から送られた古い新聞で判った。年譜上の結婚年月日は大正九年十二月、翌十年一月には中野区塔の山に住んだとある。
 汀女は大正八年にはじめて投句が採用され、以降ずっと新聞に投句している。大正十年九月にはその文才を認められたものだろう、「五月の阿蘇」という随筆を十五日、十八日と斎藤濱子の名で、執筆している。矢張り指摘は正しい。

『日めくり汀女俳句』 邑書林



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