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医史跡を巡る旅 №94 [雑木林の四季]

江戸のコレラ番外編~ヨシダサン巡り

        保健衛生監視員  小川 優

「明かりははっきりと見え始めています」…一体、どこを見れば明かりが、それも「はっきりと」見えるのでしょうか。全国の重症者数は、日々更新する毎日です。

ワクチン接種率の急速な進捗もこれ以上は望めず、異物混入など、相変わらず次々と問題は噴出しています。渋谷の東京都の大規模接種会場における混乱は、ワクチンを打ちたくても打てない人がまだまだたくさんいることが、現実問題として露呈しました。またワクチン供給は十分とされますが、実際には綱渡りのような状況が続いています。さらに感染拡大抑止をワクチン接種率だけに求める考え方は、先行諸外国の状況を見るに難しく、ワクチンで社会的免疫を得ること自体、不確実視されるようになってきました。

重症化を抑える中和抗体療法も、そもそも薬剤量に限りがあるうえ、症状の進展をリアルタイムにモニタリングすることが難しい自宅療養において、有効に使うことは難しいとされます。現在のところカシリビマブ/イムデビマブ製剤であるロナプリーブは点滴投与で、患者本人に重症化リスクがあることが使用の条件となります。さらに発症後8日を過ぎると効果が認められないうえ、呼吸器不全を呈した段階で、重症化防止の目的から外れてしまうことになります。例えば発熱から数日たってから受診、PCRの結果が出て医師が保健所に届けるまで数日、さらに保健所が患者にアクセスするのに数日かかる現状では、すぐに発症から7日は経過し、折角の医薬品の使用機会を逸してしまいます。そもそも本人が重症化因子を持たないにもかかわらず、自宅療養中に呼吸困難など症状が急変してしまう場合には、全く無力です。(新型コロナウイルス感染症診療の手引き 第5.2版 準拠)

たびたび話題に上がる酸素ステーションも、どこまで決定打になるかは疑問です。同じように取り上げられる野戦病院とは全く異なるもので、呼吸を楽にすることを目的としていて、診断・治療を行うことを前提にはしていません。呼吸が苦しくなって肺炎の進行状況を把握したくてもCTはもちろん、レントゲンすら撮る設備はないのです。症状が重くなっても入院先が見つかるまでは転院できず、レムデシビルやバリシチニブを用いる治療も開始できません。ただ自宅療養に比べれば体調管理に目が届きやすく、療養中の急変による孤独死を防ぐという効果はあります。
一方のいわゆる野戦病院は、臨時の病院であり、通常の医療機関の医療資源を圧迫することなく、新型コロナ治療にのみ専念することができます。ただし一番の問題は人材の確保となります。

一部の成果のみを強調し、楽観的過ぎるメッセージを発することは、感染拡大を抑えるためには逆効果となります。見えているとする明かりが、鬼火でないことを祈るばかりです。

あだしごとはさておき。
前回は、静岡県裾野市深良地区の「ヨシダサン」をご紹介しました。
このヨシダサン、安政五年のコレラ騒動以前から御殿場市、裾野市、三島市におよぶ広い地域を持ち回りで巡る神様として、信仰されていました。元々は深良のヨシダサンと同じ、京都の吉田神社です。

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「吉田神社」 ~京都市左京区吉田神楽町

ヨシダサンと呼ばれる、吉田神社を祀る神輿を当番の地区に鎮座させて一年間祀り、翌年は次の地区に送り出すという慣わしで、記録では1830年にはすでに行われていました。
十ヵ村吉田宮祭礼当番引継札という書付が残されており、日付は文政十三年六月四日となっています。当番に当たる村々の名前、世帯数と、責任者が記されています。

一 百三拾軒 神山村 名主 源治郎
一 拾九軒 岩波村 名主 伴蔵
一 三拾三軒 岩脇村 与頭 良蔵
一 百拾軒 佐野村 名主 源五郎
一 六拾軒 久根村 名主 源蔵
一 六拾五件 公文名村・稲荷村 名主 宇平次
一 百二拾七軒 茶畑村 名主 甚蔵
一 二拾三軒 平松新田 与頭 孝蔵
一 百壱軒 伊豆佐野村 名主 直右衛門
一 三拾三軒 麦塚村 名主 與惣右衛門
一 拾四軒 二ツ屋新田 名主 佐兵衛
一 京都願惣代 佐野村 玄意
        茶畑村 新左衛門
一 寄氏子 御宿村 甚兵衛
      大畑村 善兵衛
  錺師 御殿場村 儀兵衛

裾野市史によると現在では、御殿場市・裾野市にまたがる神山・岩波地区、裾野市の石脇地区、佐野地区、茶畑地区、三島市の伊豆佐野地区、再び裾野市の麦塚地区、二ツ屋地区、平松地区、公文名・稲荷地区、久根地区の順に祭礼を回しているとのことです。ヨシダサン固有の社殿こそありませんが、各地区ではその地区の氏神にあたる神社の境内に、ゴーシャサン(合社さん)と呼ばれる神輿を鎮座させる社を設け、一年間その社に祀ります。

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「浅間神社」 ~静岡県御殿場市神山

伝承では、この地域で疫病が流行した時、佐野村の医師三好玄意と茶畑村の新左衛門という者が、京都の吉田神社から分祀を受け、お祀りしたところ疫病が収まり、以後地区持ち回りで奉るようになったと伝えられています。先の史料の「京都願惣代 佐野村 玄意」との記述とも符合しますので、疫病が鎮まることを祈って、医師が代表となって勧進したのはおそらく事実と考えられます。

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「三好玄意 墓」 ~静岡県裾野市佐野

三好玄意 寛政6年(1794)生まれ。貞享年間の記録に医師として同名の記載があるので、佐野村で代々三好玄意を名乗って偉業を営んでいたと思われる。墓碑によると安政元年(1854)に62歳で死去。

さて、それでは各地区のヨシダサンの御座所、吉田神社を巡っていきましょう。神山地区、浅間神社は既にご紹介しました。次は石脇地区、三島神社。

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「三島神社」 ~静岡県裾野市石脇
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「三島神社 合社」 ~静岡県裾野市石脇

佐野地区、浅間神社

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「浅間神社」 ~静岡県裾野市佐野
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「浅間神社 合社」 ~静岡県裾野市佐野

茶畑地区、浅間神社。

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「浅間神社」 ~静岡県裾野市茶畑
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「浅間神社 合社」 ~静岡県裾野市茶畑

三島市に入って伊豆佐野地区、見目神社。

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「見目神社」 ~静岡県三島市佐野
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「見目神社 合社」 ~静岡県三島市佐野

再び裾野市に戻って麦塚地区、見目神社。

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「見目神社」 ~静岡県裾野市麦塚
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「見目神社 合社」 ~静岡県裾野市麦塚

二ツ屋地区、浅間神社。

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「浅間神社」 ~静岡県裾野市二ツ屋

平松地区、佐野原神社。

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「佐野原神社」 ~静岡県裾野市平松
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「佐野原神社 合社」 ~静岡県裾野市平松

公文名・稲荷地区、鹿島神社。

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「鹿島神社」 ~静岡県裾野市公文名
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「鹿島神社 合社」 ~静岡県裾野市公文名

久根地区、八幡宮。これで一巡です。

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「八幡宮」 ~静岡県裾野市久根
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「八幡宮 合社」 ~静岡県裾野市久根

毎年三月二十八日が神輿のオワタリ(御渡り)で、地区間の引渡し。カベツと呼ばれる地区内の巡行が三日、四月四日が本祭りとされます。地区内の巡行も以前は若い衆が担ぎ、「六根清浄」の掛け声とともに各家を回ったそうですが、最近では軽トラックに載せて地域を回っているとのことです。
コロナ禍が収まったら、ぜひ見に行きたいと思っています。

肝心のヨシダサン。

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「ヨシダサン」 ~静岡県裾野市茶畑 浅間神社合社

令和3年6月時点では、茶畑の浅間神社境内の合社に鎮座されておりました。


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