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梟翁夜話 №94 [雑木林の四季]

「お国のために:其の二」

        翻訳家  島村泰治

昭和十年の生まれだから十六年は六歳、その年の暮れに真珠湾攻撃があった。昨今の六歳児はいざ知らず、六歳の私はもう一端(いっぱし)の半大人だった。ついに日本が立ち上がったと言う感慨は感激という思いに変わり、ある意味では大人以上に素直に感じた。ラジオに流れる大本営発表を聞き、戦闘状態に入れりとはどう言うことか、と親父に尋ねた記憶がある。戦いを始めたと言うことだと聞いて、とうとうやったかと身が引き締まったのを、昨日のことのように覚えている。お国は遂に決心したのだな、という思いは、お国のために頑張る少国民としてごく当然の感慨だった。

南六郷には国民学校の三年まで、早上がりだったから九歳までを過ごした。国民学校とは、戦時の小学校がそう呼ばれていたのだ。入学が開戦後一年目、三年で埼玉へ疎開するまでの三年間は将に戦時下で、朝な夕なに国民学校の勉強は戦時色に染まった。

巷には数多の戦時行進曲が流れ、それぞれに心の鉢巻効果があったが、私は子供心に「母の背中に小さい手で・・・」という詩に惹かれて、日の丸行進曲をとくに好んだ。

♪日の丸行進曲 (作詞:有本 憲次、作曲:細川 武夫)

一、
母の背中にちさい手で
振ったあの日の日の丸の
遠いほのかな思い出が
胸に燃え立つ愛国の
血潮の中にまだ残る
二、
梅に桜にまた菊に
いつも掲げた日の丸の
光仰いだ故郷(くに)の家
忠と考とをその門で
誓って伸びた健男児
三、
ひとりの姉が嫁ぐ宵(よい)
買ったばかりの日の丸を
運ぶ箪笥(たんす)の抽斗(ひきだし)へ
母が納めた感激を
今も思えば目がうるむ
四、
去年の秋よ強者(つわもの)に
召出(めしい)だされて日の丸を
敵の城頭高々と
一番乗りにうち立てた
手柄はためく勝ちいくさ
五、
永久(とわ)に栄える日本の
国の章(しるし)の日の丸が
光そそげば果てもない
地球の上に朝が来る
平和かがやく朝がくる

見よ東海の(愛国行進曲)の爽快、海の民なら(太平洋行進曲)の豪快も勿論好きだが、母の背中で振った日の丸という情感に痛く惹かれ、敵の城頭という語感が意味も知らぬままジンと来た。細やかなある経験もあって、幼い私はこの行進曲をしきりに愛唱した。

ある経験とは、ご近所の出征兵士を送る場面で乞われて紙の日の丸を振って喜ばれたことだ。女性たちが千人針をひと針縫う心持ちに通じる感覚を、男(おのこ)の私はその時鮮やかに見知った記憶がある。母の背中からではなかったが、そのとき我ながら日の丸を振った誇らしい気持ちが、あの行進曲に乗り移ったのだろう。

お国のために。そのために頑張るんだ、という幼児の感覚には大人奴のイデオロギーは毛ほども無かった。ティーンに仲間入りしたばかりの私には、開戦の意味を男此処一番立ち上がるの感と捉えたらしい。傘寿越えのいま思えば幼くも痛々しい感傷だが、巷の唄を介して振り返れば、その痛々しさがむしろ雄々しさにも思えて懐かしい。自力で立つや立たずやのこの国の現実をいま凝視すれば、哀れ思い半ばに過ぎるのは私だけだろうか。


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