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論語 №126 [心の小径]

三九五 子のたまわく、君子は世を没するまで名の称せられざるを疾(にく)む。

          法学者  穂積重遠

 孔子様がおっしゃるよう、「君子たる者、この世を去るまで名が聞えないようでは困る。」

 たちまち前章と矛盾するように聞えるがそうではあるまい。ここで「名」というのは、いわゆる名誉ではな心。もちろん空命虚誉(くうめいきょよ)ではない。古註に「君子の学は以て己のためにす、人の知るを求めず。然れども世を没するまで名の称せられざるは、善を尉すの努なきや知るべし。」「この実あればすなわちこの名あり、名はその実に命ずる所以なり。その身を終うるまで実の名づくべきなきは君子これを疾む。その名なきを疾むにあらざるなり、その実なきを疾むなり。」などとある。また安井息軒もいわく、「聖賢未だかつて名を悪(にく)まず。そのこれを悪むはすなわち老荘の徒のみ。かの輩(ともがら)隠居放言して、名の書を致さんことを恐る。故に務めてこれを避けて敢(あえ)て近づかず。聖賢はすなわち然らず。故に孝経にいわく、『名を揚げ父母を顕(あらわ)す』と。論語にいわく、四十五十にして聞ゆることなくんば、これ亦畏るるに足らざるののみと(二二七)。孟子いわく、『名を好むの人は酷(よ)く千乗(せんじょう)の国を譲る。』と。及びこの章の如きこれなり。」
 山上憶良はは瀕死の病床で、
  をのこやもむなしかるべきよろづよにかたりつぐべきなはたてずして(万葉集)
と慷慨(こうがい)したが、しかしかれは歌によってよろずよに生きている。

三九六 子のたまわく、君子はこれを己に求め、小人はこれを人に求む。

 孔子様がおっしゃるよう、「事がうまくいかないときに、君子は自分の身に立ちかえって反省するが、小人はすべてを他人の責任にする。」

 伊藤仁斎いわく、「これ亦孔子の家法なり。中庸(ちゅうよう)に云う、『射(しゃ)は君子に似たるあり、これを正鵠(せいこく)に失えば反(かえ)りてこれをその身に求む』と。孟子にいわく、『人を愛して親しまれざればその仁に反り、人を治めて治まらざればその智に反り、人を礼して答えられざればその敬に反る』と。古(いにしえ)の君子は自ら修むることかくの如し。故に徳目に修まりて、家邦怨みなし。」

三九七 子のたまわく、君子は衿(きょう)にして争わず、羣(くん)して党せず。

 孔子様がおっしゃるよう、「君子は謹厳に構えているが、何でも反対しようというような気がないから、むやみに人と争わない。また、たれかれの分隔てなく人とむれ親しむが、おもねりへつらう私情がないから、同気相求めて党を作るようなことがない。」

 いわゆる「和して同ぜず」(三二五)「泰(やす)くして驕(おご)らず」(三二八)である。

『新訳論語』 講談社学術文庫

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