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妖精の系譜 №9 [文芸美術の森]

現世と異界を隔てる水の流れ

      妖精美術館館長  井村君江

 一三五〇年頃書かれた中世ロマンスである『サー・ガウェインと緑の騎士』でも、城や異様な緑の巨人の騎士の住み家の丘は川の向こう岸にそびえている。緑の騎士はガウェイン卿に首を切り落とされそれを抱えて立ち去る。一年後、ガウェインは約束どおり首を切られに住み家に訪ねていく。
 緑の騎士の緑の礼拝堂は、岩地の上の円い空洞の丘の上にあり、激流がわき立つ小川が流れており、それを飛び越えて緑の騎士はガウェイン卿に迫ってくるのである。結局ガウェイン卿は城主の奥方の誘惑を避け、縁の騎士の挑戦にも勝つわけであるが、この緑の巨人の騎士はアーサー王の異父姉で魔術の巧みなモルガン・ル・フェの魔力を代行していたのであった。
 この物語はケルト神話に出てくる「首切りゲーム」をもとにしており、英雄ク・ホリンを主題とした『トイン・ボー・クールニャ』(『クーリーの牛争い』)などに語られているので、中世のこの物語における異界の描写にも、ケルトの影響があることがうかがえる。丘の洞穴や岩の裂け目から地下に入って行く ― 暗くうねる道を行く― 急に緑の野が広がる(花が咲き小鳥が歌い、果実が実る)― 彼方に城や宮殿が見える(城に囲まれ、水晶や金、銀が輝く)― その前に川が流れる― このような道具立てが異界への道と自然と、建物の常道の設定のようである。別世界はこの世と同じ次元に広がっており、この世と同じ自然の中に城がそびえているので、二つの世界を区別する仕切りの役目を水に荷わせているのであろう。
 ギリシャ神話の冥府を流れるレイテ(その水を飲むと現世のことを二切忘れる)やアケロン(渡し守の舟で渡る)、日本の三途の河など、現世とあの世を隔てるのは水どいう考え方は多くの地方にあったようであるが、ここでは多分にケルトの考え方が入っている。
 妖精の国の住人は不老不死である。しかし妖精の国に行った人間は素早く年をとる。一日が百年に相当する場合や二年が百年という場合がある。『ギンガモール物語』では妖精の恋人に三日間という約束で彼女の国で一緒に楽しく過ごし、帰ってみると三百年たっていたとなっている。ケルト神話のオシーンも常若の国で三年を過ごして、帰ってみると三百年たっており、彼を知る者はなく、白馬から下りて足が地につくと、たちまち老いてしまう。この世と異界との月日の経過の速さが達うための悲劇、わが国の浦島太郎と同型の、異界訪問をして帰国し老い朽ち果てた話である。
 ケルト神話の妖精の前身であるダーナ女神の巨人神族トウアハ・デ・ダナーンがあとから来た種族マイリージアンに破れると、海の彼方、海の小島(至福の島)、地下(塚・丘)に、目に見えない国常若の国(ティル・ナ・ノグ)を作り、それが妖精の国と考えられていくのである。妖精の国の入口としては、海の彼方、波の下、湖の下、井戸の中と水がその入口に、つまり異界への媒体と考えられているのである。

『妖精の系譜』 新書館


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