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日本の原風景を読む №31 [文化としての「環境日本学」]

矢を射つ若き利根川  1

  早稲田大学名誉教授・早稲田環境塾塾長  原  剛

菩薩の乳の一滴を想う
 東京から約一五〇キロ、豪雪、強風の関東平野の北面を、もっとも手強い岩登り道場、谷川岳(一九七七メートル)が固める。その山麓は一八の源泉からなる水上温泉郷だ。渓谷深く、菩薩の乳の慈悲の一滴が源と伝えられる利根川上流の地みなかみは、到るところで激流が岩を噛む水源の郷である。
  岩の群(むれ)
  おごれど阻む
  力なし
  矢を射つつ行く
  若き利根川
 歌人与謝野晶子はしばしば水上温泉に滞在、二三〇首の歌を詠んだ。暴れ川、利根川水源の激しい流れが、晶子の不屈の情熱と通い合ったのだろう。その支流の一つ宝川の急流は「猫まくり」の異名をもつ。雨が降ると一気に水が増え、五分間ほどで.一メートルも水かさが増す。
 両側から断崖が迫る激流、深い森林が醸し出す香気、静寂。「イギリス、スペイン、イタリアからの観光客に人気です。サッカーのトルシエ監督も滞在しました。客の七〇パーセントは一七か国から外国人です」 (秘湯「汪泉閣」の主、小野与志雄さん)。

水源を旅した若山牧水
 みなかみの街中にとどまらず法師、猿ケ京、湯宿、室川など山と谷の奥に散在する秘湯では、先代の志を汲む館主たちが、文化性の豊かな旅の舞台を用意している。
 赤谷川に沿う三国街道沿いの湯宿「ゆじゅく金田屋」の主岡田洋一さんは、大正十一年九月二十三日、酒好きの歌人若山牧水が泊まり、廿みそを塗った干し鮎を肴にとめどなく酒を飲んだと伝えられる部屋の家具、調度品すべてを芝居の舞台のように保っている。
 毎年上月、全国から牧水ファンが金田屋に馳せ参じる。「牧水まつり」である。一同は酒宴に先立ち、部屋にかけてある掛け軸に大書された牧水の名歌を朗々と歌う。

  白鳥はかなしからずや空の青海のあをにも染まずただよふ
  幾山河越えさり行かば寂しさの終てなむ国ぞ今日も旅ゆく

 牧水が水上を訪れたのは、彼が愛してやまない「水源」を旅することであった。
 
 私は河の水上というものに不思議な愛着を感ずる癖を持っている。一つの流れに沿うて次第にそのつめまで登る。そして峠を越せば其処に又一つの新しい水源があって小さな瀬を作りながら流れ出している、という風な処に出会うと、胸の苦しくなる様な歓びを覚えるのが常であった。
 やはりそんなところから大正七年の秋に、「利根川のみなかみを尋ねて見よう、とこの利根川の渓谷に入りこんできた。(『みなかみ紀行』)

 牧水は自然があたかも神であり、仏でもあるかのように接し、神仏を詠まなかった。「水源」はその始源、自然の営みの始まりであったのだろう。谷川岳直下の湯槍曽に到った牧水は湯檜曾(ゆびそ)の辺でも、銚子の河口であれだけに幅を持った利根が石から石を飛んで徒渉できる愛らしい姿になっているのを見ると、矢張り嬉しさに心は躍ってその石から石を飛んで歩いたものであった」 (『みなかみ紀行』)。

 往時の托鉢僧を思わせる旅衣、わらじ、丈余の杖に身を固め、牧水まつりの参加者たちは終日牧水になり切り、法師温泉から牧水がたどった三国街道を歩き、赤谷川の瀬音とどろく湯に浸り、ひたすら地酒を飲む。「牧水から純粋な日本人の自然観の原点を学び、受け継ぐ試みです」 (岡田さん)。
 「文殊の水の滴りは 暫し木の葉の下くぐり 清濁併せやがてまた 坂東の野をうるほさむ」(県立沼田高校校歌五番)。利根川は地域の人々の原風景なのだ。

 赤谷川深く森に潜む法師温泉長寿館。広々とした五か所の湯船の底に一面敷き詰められた丸石の隙間から、澄み切った湯が豊かに湧く。
 かって、旅ブームの発端となった旧国鉄のキャンペーン、「フルムーン」のポスター、俳優上原謙と高峰三枝子が湯船につかり、上原が高峰の労をねぎらうかのシーンは、長寿館の湯で撮影された。高齢となった同時代の旅人たちには、その忘れがたい旅へのいざないの且となっている。

『日本の「原風景」を読む~危機の時代に」 藤原書店


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