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医史跡を巡る旅 №92 [雑木林の四季]

番外編 富士神社の麦藁蛇

             保健衛生監視員  小川 優

「安全安心なTOKYO2020」とは名ばかりの、医療体制的には綻びだらけの世紀の祭典が始まって1週間。直接関係ないと為政者は声高に叫びますが、日本全体が感染爆発に突入しています。7月31日の東京都の新規陽性者数は、4,000人を超えました。7月29日に開催された東京都のモニタリング会議で、専門家から出された8月11日の新規陽性者数予想値は4,532人。ちなみに1週間前の7月21日のモニタリング会議における7月27日の予測値は1,743人で、実際の28日時点7日間移動平均値は1,936人でした。4,532人という数字だけでも衝撃的ですが、現時点ですでに専門家による予想を上回って感染が拡大している状況ですから、8月11日の実際の陽性者数も更に増える可能性があります。

オリンピックについては職務上、複数の競技場内の医務室に対する指導という立場で関わりました。無観客での実施が決まった時には、不謹慎にも大きく安堵したものです。競技場内での観客への医療体制は心もとない、というより惨憺たるもので、もしこの感染急拡大の状況下、夏日に万を超える観客が競技会場に集まっていたらと思うと、心底震えおののきます。ボランティアだけでも連日熱中症患者が出ていることでもわかる通り、この酷暑です。厳しいセキュリティのために会場に入るまでは炎天下で待たなければならず、その間も密な状態となります。さらに発熱状態で医務室に担ぎ込まれても、直ちに熱中症なのか、感染症なのか直ちに見分ける方法もなく、下手すると数人が狭い部屋で待たされることになった筈です。さらにさらに観客用とはいうものの、選手以外のスタッフ、プレス、ボランティアも利用するのが前提で、この中には勿論日本在住でない人々が含まれます。バブルは、はじけるのがさだめなのです。

便宜的に第五波という言葉を使いますが、今回の第五波で顕著なのが、リスクコミュニケーションの欠如、というより凋落です。リスクコミュニケーションとは、ご記憶にあるかどうか微妙ですが、狂牛病ことBSE問題や、福島第一原発事故の時に盛んに使われた言葉です。為政者は正確で最新の危害情報(リスク)をバイアスがかからないように提供し、一方で受け取る国民側からも質問や疑問を返してもらい、さらに十分に意見を交換(コミュニケーション)することで、相互に理解を深めたうえで施策の方針を決定します。これによって風評被害やフェイクニュースを防ぎ、施策に対する国民の理解を得て、対応を進めるのです。ところが現在国民の意は施策に反映されず、専門家の情報も良いとこ取りで、実質為政者の一方的な発信ばかりとなり、それも明らかにバイアスがかかっています。もはやコミュニケーションとして成り立っておらず、プロパガンダに近いものがあります。
さらに共感を求め、国民に協力を求めるためのメッセージ性の強い情報発信を行うことも不得手で、精神論ばかりが独り歩きしています。7月29日のぶら下がり会見のやり取りが良い例です。「強い危機感を持って対応いたしております」という言葉の後に、具体的な対応策は示されず、センテンスは変わるものの「そうしたことで、対応はできているだろうというふうに思います。」と続く。なんだ。じゃあ、なにも対応する必要がないんだ。危機感なんて、ないじゃん。オリンピックもやってるし。

コロナ対策で強く感じるのは、パンデミック以後の施策に対する事後検証と、それに基づく改善、再発防止、政策変更が全く行われていないということにあります。
令和2年2月3日に横浜港に入港したダイヤモンド・プリンセス号における感染拡大は、いわば国内における防疫体制の予行練習と、当時まだ乏しかった感染に関する科学的知見を得る貴重な機会でした。発生初期の疫学的知見や船内環境調査の結果については国立感染症研究所から、患者104名が搬入された自衛隊中央病院からは所見、治療例および診療体制についての報告がされて、その後の現場での対応に大きく資することとなりました。しかしながら対応全体を総括する公的な報告は見つけることはできず、その後の市中における感染拡大において、有益な情報・知見として活かされたという話は聞きません。邦人帰国作戦、水際対策、一斉休校、アベノマスク、GO TO トラベル、そしてなにより緊急事態宣言ですら、その効果を多面的に検証し、活用されていません。いや、唯一の反映は宴会の禁止ぐらいでしょうか。一方で新型コロナ対応民間臨時調査会が調査・検証報告書を令和2年10月に取り纏めました。その内容、そして提言にはうなずかされるところが多いのですが、あくまで「民間」の立場で自主的にまとめられたもの。議員や政府関係者、自治体関係者にどこまで読まれたのかはわかりません。その報告書、最後の言葉が重く響きます。
「学ぶことを学ぶ責任が、私たちにはある」

未知の感染症による、未曽有の感染拡大、さらにスピード勝負ですから、取敢えず思いつく限りの取り得る策を実施するのは止むを得ないと思います。躊躇して、何もしないよりはましです。ただ、一区切り着いたところで振り返り、見直さなければなりません。トライアル・アンド・エラーです。

現在「ワクチン接種が終わるまでの辛抱」、あるいは「ワクチン接種が進む以外に対策はない」との意見が聞かれますが、ワクチン接種の進んだ諸外国の状況を見る限り、それは疑問です。確かにワクチンにより重症化率は抑えられているように見えますが、絶対数の問題であり、決してワクチンによって感染しなくなるわけではなく、かつ全く重症化しないわけでもないということです。感染拡大抑止の方法として、社会的免疫は理論上可能ですが、ワクチンによって得られる人体の中の抗体は時間と共に低くなりますし、ワクチンそのものも変異していきます。多面的、具体的に、強力な対策を推し進めない限り、感染を押さえることは難しいでしょう。

さて、あだしごとはさておき。今回もあだしごとが長くなりました。
京都の祇園祭が終わりました。終わりにかけて、京都の感染者数が増え続けていることが気にかかります。
一方東京の夏の始めのお祭りといえば、三社祭。浅草神社のお祭りで、五月に執り行われます。その浅草神社の兼務社の一つに浅草富士浅間神社があります。

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「浅草富士浅間神社」 ~東京都台東区浅草

木花咲耶比売命(このはなさくやひめのみこと)をご祭神として、元禄年間に創建されたといわれます。富士講を起源として、浅間神社が勧進されたもので、境内には富士塚があります。
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「富士浅間神社」 ~静岡県富士宮市宮町

富士山山開きに合わせて旧暦にあたる6月晦日と、新暦の7月朔日に行われる合計4日間の祭日の縁日には、木花咲耶比売命を祭神とすることから、植木市が立つことで有名です。
そして、このお祭りで頒布される縁起物が特徴的です。

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「麦藁蛇 浅草富士浅間神社」 ~筆者蔵

麦藁蛇と言います。神社公表の由緒に曰く、

麦藁細工の蛇は、宝永年間(約250年前)駒込の百姓喜八という人が夢告により、疫病除け、水あたりよけの免府としてひろめてから、霊験あらたかと評判になり、浅草でも出されるようになった。

富士土産舌はあったりなかったり 古川柳

雑踏で麦藁蛇についている赤塗りの附木で出来た舌をどこかに落としてしまったという意味の句で、参詣者のにぎわいがわかる昭和初期頃までは境内において植木市の風物として頒布されていたが、戦後には姿を消してしまった。
そもそも蛇という生き物は、古来日本において水神である龍の使い(仮の姿)であると考えられ、水による疫病や水害などの災難から守ってくれると信仰されていた。
水は人間の生活に決して欠かせない命の源であり、蛇をモチーフにした麦藁蛇を水道の蛇口や水回りに祀ることにより、水による災難から守られ、日々の生活を無事安泰に過ごせるとされている。
この度、この失われかけた風習・文化を保守し、後世に継承していくことを目的として、麦藁蛇を浅草富士浅間神社の御守りとして再現する運びとなった。5月6月の植木市と、元旦から1月3日までの間に頒布をおこなっている。

昭和6年の「いろは引 江戸と東京 風俗野史」には「水毒を消すと云ひ伝ハる。台所に掛ける」とあり、疫病除けとしても効果が期待されていました。

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「麦藁蛇 昭和40年年賀切手」

郷土玩具シリーズとして、昭和40年の年賀切手の図案にも採用されています。
この蛇、枝に巻き付き、舌を出した状態が形どられているのですが、かなり意匠化というか抽象化されすぎていて、蛇の原型をうかがい知ることがかなり難しいです。

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「麦藁蛇 駒込富士神社」 ~筆者蔵

同じように、他の富士神社でも麦藁蛇は縁起物とされており、中でも駒込の富士神社のものはずっと蛇らしくなっています。

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「麦藁蛇 裏側 駒込富士神社」 ~筆者蔵

表からではわかり辛いですが、裏返してみると、たしかに木の枝に蛇が巻き付いているように見えます。

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「麦藁蛇 顔 駒込富士神社」 ~筆者蔵

こちらが顔のアップ。ユーモラスですね。目があって、確かにちょろちょろ赤い舌を出しています。また口の両端には麦穂の口ひげがあり、なにやら角のらしきものも生えています。この辺りは水神としての、龍の影響を受けているのでしょうか。

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「麦藁蛇 駒込富士神社?」 ~筆者蔵

筆者が所有するもう一つの麦藁蛇です。駒込のものに似ていますが、微妙に違いがあります。年代の違いなのか、作り手が違うからなのかはわかりません。

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「麦藁蛇」 ~筆者蔵

竹谷靱負氏は著書「富士塚考続 富士祭の「麦藁蛇」発祥の謎を解く」の中で、麦藁蛇は江戸期の竹飾りの麦藁蛇を起源とし、昇竜に因み童子の出世祈願がもともとの信仰だったのではないかと推理されています。それがやがて広く水神としての役割を期待されるようになり、現在まで伝わる御利益とされたのでしょう。
特に江戸後期、コレラなどの水系感染症が海外からもたらされ、明治に入って猛威を振るうようになると、疫病除けとしての色合いが濃くなっていったのかもしれません。

疫病が深く人々の暮らしに影響を及ぼしていたのが、判るような気がします。


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