SSブログ

論語 №124 [心の小径]

三八八 子のたまわく、巳(や)んぬるかな、われ未だ徳を好むこと色を好むが如くなる者を見ざるなり。

              法学者  穂積重遠

 孔子様がおっしゃるよう、「困ったことかな、わしはまだ徳を好むことが女色を好むごとく熱烈な者を見たことがない。どうかさような道徳熱情家を見たいものじゃ。」

 本文は前に一度出ているが(二二二)、「巳んぬるかな」が付いていない。「やんぬるかな」は前にもあるが(二一三)、前のは「己矣夫」ここのは「巳矣乎」と書いてある。前のは「すでに望みを絶ちて歎ずるの辞」ここのは「将に望みを絶たんとして尚疑う所あり、その人を見んことを巽うの意」と注されている。漢文にはこういう微妙な使い分けがあるから、よほど味わって訳さないといけない。日本語でも同じことだ。例の戦争犯罪裁判は通訳付なので時々奇妙な行違いがあったらしい。たとえば「たしかそうだったと思います。」と述べたのを、通訳が「シュアー」とか「シュアリー」とか、すなわち「たしかに」と訳するので、まるで違った意味になる、というようなことがしばしばあった由(参照・二二二)。

三八九 子のたまわく、臧文仲(ぞうぶんちゅう)はそれ位を窃(ぬす)む者か。柳下恵(りゅうかけい)の賢を知りて、而かも与(とも)に立たざるなり。

 「臧文仲」は魯の大夫で、「いかんぞそれ知ならん。」と孔子様に非難されたことが、前に出ている(一〇九)。「柳下恵」は魯の太夫展獲(てんかく)、字(あざな)は禽(きん)、柳下はその食邑(しょくゆう)の名、恵はおくり名とあるが、本名よりも「柳下恵」で有名。

 孔子様がおっしゃるよう、「臧文仲は禄(ろく)盗人よな、柳下恵が賢人であることを知りながら、これを推薦して共に朝廷に立つことをしなかった。」

 なかなか手きびしい。公叔文子(こうしゅくぶんし)をほめたのと(三五〇)、好対照だ。古註にいわく、「もし腎を知らずんばこれ不明なり。知りて挙げずんばこれ賢を蔽(おお)うなり。不明の罪は小なるも、腎を蔽うの罪は大なり。ゆえに孔子以て不仁と為し、叉以て位を窃むと為す。」

三九〇 子のたまわく、躬(きゅう)自ら厚くして、人を責むるに薄ければ、すなわち怨みに遠ざかる。

 「薄く人を責むれば」とよむ人もある。

 孔子様がおっしゃるよう、「自身を責めることが厳重で、他人を責めることが寛大であれば、人をも怨まず、人からも怨まれないものぞ。」

 ところが人情とかく逆になるので、うらみつらみが起る。伊藤仁薪がこういう話を伝えている。「宋の呂祖謙(ろそけん)、性はなはだ偏急なり。たまたま論語を読みてここに至り、大いに自ら感悟(かんご)し、後来一向に寛厚和易なり。善(よ)く論語を読む者と謂うべし。」

『新訳論語』 講談社学術文庫


nice!(1)  コメント(0) 

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。