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批判的に読み解く歎異抄 №32 [心の小径]

(補足説明2)『欺異抄』全体の構成についての異説-佐藤正英説

      立川市・光西寺住職  寿台順誠

 次に、非常に面白い説ですから、『欺異抄』の全体構成に関する異説として、佐藤正英さんの説を紹介しておきます。
 まず前提として『欺異抄』には元々の原本と、またそれを写した「覚如本」と言われるものもあったとされていますが、それらは現存していません。それで最も古いのが「蓮如本」と言われるもので、これは西本願寺にあります。が、これは、元々は袋綴じになっていたものが、江戸時代に「巻子本(かんすぼん)」と言って巻物の形にされたと言われております。ところが、写本のある段階で『欺異抄』には錯簡、つまり閉じ違いなどによって書物の順番が狂うということが起こったのではないか、と佐藤さんは言っています。例えば、私たちも時々、本のコピーなどをして頁順に揃えたつもりが、l頁の後に2頁ではなくて3頁が来てしまい、その後に2頁があるというようなことがありますね。
 それで、私も昔から「後序」の文章は読みにくいところがあると思っておりましたが、佐藤さんによれば、「後序」の「いずれもいずれもくりごとにてそうらえども‥・なげき存じてそうらいてという部分と、その直後の「かくのごとくの義ども‥・かまえてかまえて聖教をみみだらせたまうまじくそうろう。」(本願寺派『浄土真宗聖典』852-853頁‥大谷派『真宗聖典』639―640頁)というところが、錯簡で入れ替わってしまったということです。実際、佐藤さんの見七に従ってそこを並べ替えてみると、本当に文意が通るようになりますので、この「後序」の錯簡については、佐藤さんが言っている通りだと思います。
 ただしかし、こうしたことから佐藤さんは、もともと『歎異抄』は、「異義篇」が前にあり「師訓鷺が後になっていたということを言っているのですね。そして佐藤さんは前者を『異義条々』と名づけ.「前序」(漢文序)を後者の語録にのみかかる序文だと見なして、『欺異抄』は語録の部分のみに也たる書名だと言っています。しかし、これに対しては、伊藤益さんが以下のように批判しています。

 親鸞の言説を忠実に祖述する体裁を採り、とりたてて異議批判を前面に押し立てるわけでもない親鸞語録を、唯円が「歎異抄」と名づける根拠は何か。疑問とせざるをえない。また、漢文序が唯円の「欺異」の心を強調している点に着目するならば、それを、ただ親鸞語録にのみかかる総序と見なすことには無理があるというべきであろう。後序の錯簡をめぐる佐藤論註の指摘が妥当なものであることは否定できない。しかし、現存諸本の述作の順序を改変する必要はないと考えられる。(伊藤益前掲書、25頁)
 私は伊藤さんが言っていることに賛同します。が、『歎異抄』全体の構成に関する異説としては上の佐藤説以外に近角常観説や西田真因説があるわけですが、本の構成についてこうした諸説が出てくるのは、そもそも原本がないからだと言えるわけですよね。以上のことは、『歎異抄』にはこんな問題もあるという意味で紹介しました。
 が、もしかしたら今後、原本が発見されるなどということがないわけじゃないかもしれませんよ。そうしたら面白いでしょうね。大正時代に『恵信尼消息』(本願寺派『浄土真宗聖典』812-827頁‥大谷派『真宗聖典』615-625頁)が西本願寺の蔵から発見されて、それで親鸞の生涯についての語り方が、従来の『御伝紗』(本願寺派『浄土真宗聖典』1043-1061頁・大谷派『真宗聖典』724-737頁)をはじめとする親鸞伝に基づく語り方とは決定的に変わったということがありましたが、もし『欺異抄』について同じようなことが起こるならばどうなるでしょうか。とても興味深い問題だと思いますね。

名古屋市中川区 真宗大谷派・正雲寺の公開講座より


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