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海の見る夢 №9 [雑木林の四季]

       海の見る夢
          -あの町この町~夕暮れの子供たち~
                 澁澤京子
 一時期、とび職の恰好をして働いている、イランから出稼ぎにやってきた人達をよく見かけた。結婚して世田谷に住んでいたとき、近所の小さな公園でよくパリージョ(フラメンコのカスタネット)の練習をしていたが、ある時、ブラボー!というかけ声や口笛が聞こえるので見ると、建築中の家からイラン人大工さんたちが一斉に私に声援を送ってくれたのだった。
フラメンコのカンテ(歌)はコーランの旋律にかなり似た節回し・・スペインにはイスラム教が入っていたせいか、スペイン音楽はアラブ音楽に似ているところがある。私の(それほど上手くもない)パリージョが彼等の郷愁をくすぐったのか?(そう思いたいが・・)

アザーン、コーラン詠唱の旋律は実に美しい。聴いているとなんとなく夕焼けの色が浮かんでくるのは私だけだろうか?

イランのアッバス・キアロスタミ監督の『友だちのうちはどこ?』をずいぶん昔に、母に薦められて見たことがあった。友達のノートを間違えて持って帰ってきてしまい、その友達が退学になることを心配して、遠くの町までノートを返しに行く子供の話。最近、これが『オリーブの林を抜けて』と『そして人生はつづく』の三部作になっていることを知り、改めて三作を見直した。

友達のうちはなかなか見つからず、焦燥感とともにどんどん日が暮れていく・・何しろ子供なので友達が宿題をしなかったら、先生に叱られて大変なことになると真剣に思い詰めてしまう、そう、子供って逃げ場がないからささいなことで思い詰めたりしたことを思い出す・・しかも、家の前に枯れ木があるという漠然とした情報だけで探すから、なかなか見つかるわけがない・・風が強くなって、辺りはどんどん暗くなり、やがて家の窓から漏れる灯りを頼りに友達の家を探して路地を歩きまわり、・・ああ、これって野口雨情の「あの町この町日が暮れる~」みたいだし、小川未明の童話にもありそうだし、「週刊新潮は本日発売です・・」の表紙の谷内六郎さんの夕暮れの子供の風景の様でなんだかとても懐かしいのである。おそらく、どこの国の人が見ても郷愁を感じる、夕暮れ時の子供の風景。映像も全編が詩のように流れ、『オリーブの林を抜けて』でも『そして人生はつづく』でも、映画の中では詩が朗読されることが多い。

低予算でも、監督次第では素晴らしい映画を作れるというお手本のような映画。
なんでもない日常の光景と日常の出来事。セリフで説明したり人生訓を語ったりしないところが、とても洗練されていて、たとえば小津安二郎を初めて観た外国人も日本映画に対して同じような感想を持ったんじゃないだろうか。こういう映画はストーリー展開でごまかせない分だけ繊細な感受性が必要とされるから、文化レベルが高くないとなかなか作れないだろう。出てくる子供も大人も皆、現地で集めた素人。とにかく子供が皆(特に主役の男の子)自然体でかわいらしい。

中東は大雑把に「ペルシャ・アラブ・トルコ」にわけられるらしい。皆、古い文化を持っているけど、中でもペルシャは詩や文学が発達しているんじゃないだろうか?私でも知っている、オマル・ハイヤームも、イスラム神秘主義のルーミーもペルシャの詩人。

イランの女性アーティスト、マルジャン・サラトピの『ペルセポリス』という自伝漫画がとてもいい。(日本語に翻訳されて出版されている。絵のタッチも私好み)1969年に生まれてテヘランで育ったサラトピは上流階級の出身で、子供の時からフランス語の教育を受ける、知識人の両親の方針で自由に育てられたサラトピは、イランの保守的な環境ではどうしてもはみ出してしまう。特にホメイニ師のイラン革命以後、政情も不安定なイランでますます学校でも孤立して、とうとう14歳でウィーンに留学させられるることになる・・ヨーロッパで自由を満喫できると思いきや、イラン人であることで差別を受け(当時、イランはアメリカにより悪の枢軸国のように言われていた)失恋して傷心のまま帰国するのである・・帰国してからは、ヨーロッパに無邪気に憧れる女友達にも、ますます厳しい状況になっていくイランにもなじめず、とうとううつ病になってしまう・・

ちょうどサラトピが留学していたときは、イラン・イラク戦争の一番激しかった頃。彼女の父親が「・・西欧の列強が両陣営に武器を売り、われわれは愚かにもこのゲームに参加してしまったというわけさ。」と帰国したサラトピに戦争について語るくだりがある。

そう、戦争での一番の勝利者はイランでもイラクでもない、それは武器商人たち。

イランのホメイニ師に対抗させる形で、アメリカ(CIA)はフセインを支援し、フセインの独裁政権がはじまった。アメリカは(中国もだが)、イランへもイラクへも武器を輸出していてレーガン時代に「イラン・コントラ事件」が暴露され、イランへの武器提供で得た資金を、ニカラグアの反共ゲリラに提供していたことがばれる。他に、イランにはイスラエルが、イラクにはソ連やフランスも武器を提供していて、もともと歴史的にあったアラブ・ペルシャの対立を、武器商人たちにいいように利用された、ともいえるし、中東の支配者は愚かにもうまくのせられたともいえる・・

宗派の対立や部族・国家の対立よりも、むしろそれを故意に煽ることによって、支配力をふるったり利益を得る人たちがいなくならない限り、戦争はなくならないだろう。

ちなみに日本が「武器輸出三原則」を撤廃して武器輸出を自由化したのは、2014年の安部政権の時。ニコニコと満面の笑みを浮かべ、ネタニヤフ首相と握手している安倍首相の写真が実に不愉快でしたが・・

アッバス・キアロスタミの『ホームワーク』と言うドキュメンタリー映画を観ると、小学校の朝礼で毎朝子供たちが「フセインは地獄に落ちろ!」と唱えるシーンが見られるけど、イランではそういった狂信的な洗脳教育を行っていたのがわかる。

うつ病になってしまったイラン女性サラトピのように、西洋文化にも、保守的なイスラム原理主義にもなじむことのできない、いわばアイデンティティのよりどころを失ってしまった中東のインテリ層(自由な教育を受けた)って結構多いんじゃないかと思う。

サラトピはその後、アーティストとして活躍することによってうつ病から回復する。アートには国境はないからだ・・サラトピの漫画が原作となった『チキンとプラム』(楽器を奪われた音楽家の死ぬまでの8日間)は映画しか見てないけど、全編夕焼け色のとても美しい作品。

激動のイラン・イラク戦争に思春期を過ごしたサラトピ。今のイランに、芸術家はとても住めないので、現在はパリに住んでいるらしい。彼女もまた、故郷を喪失した、「夕暮れになって帰る家を見失った子供」だったのだ。シリア、イラン、イラク、パレスチナ、アフガニスタン・・中東には帰りたくとも故郷に帰れない人々がいまだに大勢いる・・

言葉がわからない外国人でもコーラン詠唱の旋律に感動することができるし、ドイツ人でなくてもベートーヴェンに感動することができるし、日本の琵琶音楽の好きなロシア人女性だっているし、バッハの好きなフラメンコジプシーだっている・・別に日本人だから邦楽のよさがわかるというわけでもないだろう。私たちは芸術という普遍があるからこそ逆に安心して、違う文化や多様性を尊重できるのではないだろうか?違いを尊重することは、自分自身を尊重することでもあるのではないだろうか。

子供の頃の夕暮れ。テレビから大相撲の呼び出しが流れてきて(大相撲の、西~という「呼び出し」?はちょっとコーランの旋律に似ていると思う)、コトコトと夕餉の支度の音が聞こえて、子供部屋で明日の学校の用意をしていたこと・・夕方、家に帰るのが遅くなってしまったときの焦燥感・・そんな誰でも持っている子供時代の記憶の断片。

国や文化は違っても、夕暮れ時のノスタルジーには万国共通の普遍性があるのであり、私たちが一生かけて探しているのはもしかしたら「帰る場所」なのかもしれない。



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