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論語 №122 [心の小径]

三七九 子のたまわく、由(ゆう)よ、徳を知る者は鮮(せん)なし。

        法学者  穂積重遠

 孔子様が子路におっしゃるよう、「由よ。道徳の尊さを知る人のさても少ないことよのう。」

 本章を前々章と直結して、子路をいましめられた言葉と解する学者が多いようだが、子路といえばしかられるものときめこんではかわいそうだ・子路は正義派なのだから・ここなどはむしろ、お互いのように徳を知る者は少ない、と子路に同感を求められたのだろう。

三八〇 子のたまわく、無為にして治まる者は、それ舜か。それ何をか為すや。己を恭しくし正しく南面するのみ。

 「南面」は天子の座位。『易』(説卦伝)に「聖人南面して天下を聴く。明にむかいて治む。」とある。「明治」の元号はここから出たのだろう。

 孔子様がおっしゃるよう、「自身は何もしないで天下が治まったのは舜であろうか。舜はいったい何をなさったか。行儀よくキチンと南を向いてすわってござっただけじゃ。」

 「無為にして治む」は老子の「無為にして化す」とは違う。政治をしないのではないので、適材適所に賢人を用いて政治をさせ、自身は何も為さざるがごとく知らん顔をしているのだ。舜が賢人を用いたことは、『論語』中三カ所に出ている(二〇二・二〇四・三〇〇)。

三八一 子張、行われんことを問う。子のたまわく、言忠信、行い篤敬(とっけい)、南貊(なんぱく)の邦(くに)と雖も行われん、言忠信ならず、行い篤敬ならず、州里(しゅうり)と雖も行われんや。立てばすなわちその前に参(まじ)わるを見る。輿(よ)に在ればすなわちその衡(くびき)に倚(よ)るを見る。それ然る後に行われん。子張これを紳(じん)に書す。

 二千五百戸が「州」、二十五戸が「里」。

 子張が、「自分の思いどおりが行われるにはどうしたら宜しかろうか。」とおたずねしたら、孔子様が、「言うことが忠実で信用が置け、することが真面目で鄭重であれば、南蛮北秋というような野蛮国に行っても思いどおりが行われよう。言うことがでたらめであてにならず、することが軽薄で不謹慎だったら、自分の郷里でも思うようにはなるまい。忠信篤敬の四字が、立っていれば目の前にチラチラするように見え、車に乗っていればながえのはしの横木にぷらさがって見えるようになって、はじめて自分の思いどおりのことが行われるぞよ。」と教えられた。子張が大そう喜んで、忠信篤敬の四字を大帝の前垂に書きつけ、常に目に触れるようにしておいた。

澁澤栄一は本車が特にすきで、息子を「篤二」、孫を「敬三」と命名した。

『新訳論語』 講談社学術文庫


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