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妖精の系譜 №4 [文芸美術の森]

 ルネッサンスの妖精論争

        妖精美術館館長 井村君江

 ルネッサンス時代になると、妖精たちはロバート・グリーンやジョン・リリー、ベン・ジョンソンといった劇作家たちによって舞台で活躍の場を与えられるか、シェイクスピアの妖精王オベロンの世界に集約されてくる。しかし、平土間の一般観客はそれを楽しみはしても、妖精とその活躍を信じる気持が希薄になっており、惹かれる心も弱くなっていることは否めない。ルネッサンス時代の魔女や妖精信仰についての書として見逃すことができないのは、(4)のレジナルド・スコットの『魔術の正体』である。あるいはシェイクスピアもこの書物をひもといていたであろうと推定され、この劇作家の種本としても重要である。もともとこの書は魔女に関するもので、妖精を取り扱ったものではないが、この中にブラウニーとロビン・グッドフェローについての記述がある。当時の人々にとって、妖精はすでに信仰の対象でも恐怖の存在でもなくなっていることが「百年前の人に対してと同様、今の人に対しても変わりない、あの大変いたずら好きのロビン・グッドフェローは(中略)今日ではそれほど恐れられていず、その習慣も充分知られるに至った」という一文からもうかがえる。スコットはオックスフォードのハート・ホール(今のバーフォード・カレッジ)出身の知識人であり、ニュー・ロムニーで議員としての仕事もしていた。その社会的な業務にたずさわっているとき、魔法使いの疑いをかけられた無実の老婆が、残酷に扱われているのを見て不当に思い、魔法の概念が作った迷信の誤りを暴こうと思い立ち、この本を著したのであった。その中で、当時一般に信じられていた妖精や超自然の生きものについて列挙しており、さまざまな種類の妖精・超自然の生きものが当時の人たちに考え出されていたことがうかがえて興味深い。
 例えば、第四巻十章にはブラウニーに関する次のような記述がある。

 確かに年とった女中たちは、プラウニーとその従弟であるロビン・グッドフェローのためにミルクを入れた鉢をおいてやったものである。その代わりにかれらに麦芽やカラシ菜をすりつぶしてもらったり、真夜中に家の掃除をしてもらった。ブラウニーが裸でいるので可哀想と思った女中やおかみさんが、パンとミルクのほかに服を与えようとすると、ブラウニーはひどく怒ったという話を聞いたことがあると思う。そんな時、ブラウニーが言うことは決まっている。
 「こりゃいったい何だ。ヘムトン、ハムテン、もう仕事はしてやらない」。

 ミルク一杯の報酬のために女中の台所仕事を手伝うブラウニー、服をやると自分の仕事が認められたということでもう出てこなくなる―民間に伝わる物語「ヒルトンの血無し童子」や「ジエツドハーグのブラウニー」に、このプラウニーの性質は、そのまま伝えられている。
 スコットの『魔術の正体』は当時広い反響を呼んだが、なかでもスコットランド王ジェイムズ六世(イングランド王ジェイムズ一世)は反論を唱え、自ら『悪魔学』を執筆し、それでもあきたらずに『魔術の正体』を発禁し焚書にしたほどであった。このように王に別の本を書かせるほど刺激的であったわけで、後年のわれわれにとって精霊(妖精や魔女)に対する当時の人々の考え方を知るよい手がかりを与えてくれる。しかし『魔術の正体』は完全に発禁になったわけでなく、一六六五年に再び発行される。その再発行に際して第十五巻の冒頭に九章が加えられ、その中の「悪魔及び精霊についての論考」という箇処には詳しい妖精論がある。プリッグズが「レジナルド・スコットの頑強な懐疑主義とは全く異なった文体」と指摘しているように、どうやら後年の改訂者の筆になるものらしい。それにしても妖精に対するいきいきとした記述が、十七世紀になされているのは驚くべきことである。
「妖精たちは主として、山の中や土の洞穴に住み、人間の男女、兵士、王や貴婦人、子供、緑の騎士の姿といった不思議な幻影となって山や牧場に現われる。妖精たちは麻の茎を馬にして乗り、夜、人々の家に現われていたずらをするという。その主なものは妖精が人間に食べさせるために置いていったパン、バター、チーズなどを食べるのを拒んだりすると、召使いや羊飼いを転ばせたり、青あざができるほどつねったり、召使いたちをさらっていって(二週間か一か月)、空中を運び最後には山中や牧場に投げ出したりする」とある。悪魔のように人に悪いことはせず、罪のないいたずらを人々に仕掛けて喜ぶという妖精の性質がここによく描かれている。
 スコットの本に対して反対論を展開したジェイムズ一世は、精霊には次の四種類があるとしている。
 (1)レムレス(Lemures)、スペクトラ(Spectra)と呼ばれる、特定の家や場所に出没する精霊。
 (2)特定の人に影のように付いて悩ます精霊。
 (3)人間の身体に入り、とり憑く精霊。
 (4)妖精といわれる精霊。
 ジェイムズ一世は、(4)のフェアリー(Phaerie)をダイアナ(Diana)と呼び、ローマ神話の月の女神と同じものにしているが、シェイクスピアがティタニアに夜の女王、月の女神の性質を持たせていることが思い合わされ、十六、七世紀には妖精がギリシャ・ローマ神話と混同されていたことがうかがえる。またジェイムズ一世は、妖精はローマ教会の時代に生まれた迷信の一つにすぎないと言い、魔女が死刑に処せられるのは、フェアリーに丘の中の国へ連れていかれ妖精の女王から超自然の力のある石をもらったと告白するからであるとも言って、妖精が悪の存在であることを強調しようとしている。
 しかし否定しながらもジェイムズ一世が、ブラウニーについて次のように記述している文章からは、当時の民衆にまだ親しまれていたブラウニーの姿がうかがえてくるのである。

 民家に出没する悪魔と同じように悪いことをするのではなく、必要に応じて民家に出入りする精霊がある。これをプラウニーと呼ぶが、その外見は粗野な男に似ている。しかし人々のなかには、ブラウニーの実体がつかめず、ただその精霊がたくさん出入りすれば縁起がよいと信じている者も多い。

 ジェイムズ一世も、プラウニーが害や悪をしない精霊と認めており、ブラウニーがたくさん家にやって来れば縁起がよいとして、幸いをもたらす存在と当時の人々が信じていたことがわかる。
 スコットが魔女の存在を否定しようとして『魔術の正体』を書き、ジェイムズ一世が魔女の存在を肯定しそれを弾劾しょうとして『悪魔学』を書いたのであるが、その時代には妖精は魔女の手先となり魔術師の使い魔として、悪を行うものとみなされていた。また死者や幽霊といった幻の存在とされて、とくに清教徒たちによって十把一からげにされ否定されていた。ここで興味深いのは、中世時代には幽霊は煉獄に囚われている死者の魂が時折人間界に帰ってきたものであると信じられていたが、宗教改革以後、煉獄の存在は否定されるので、死者がこの世に帰ってくるという考えも否定されてきたという事実である。イギリスで名高い幽霊の話や幽霊屋敷の話の大方は中世の産物で、十七世紀以後はほとんどなくなってしまっている。しかし、十八世紀のオピニオン・リーダーであったサミュエル・ジョンソンは次のように一言っている。
 「幽霊の存在というものは、五千年たった後でも、未解決であろう」
 妖精の存在もまたしかりで、同様のことが言えるように思う。

『妖精の系譜』新書館


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