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過激な隠遁~高島野十郎評伝 №52 [文芸美術の森]

第八章 晩年南柏のアトリエ
 
    早稲田大学名誉教授  川崎 浹

こんどこその終の棲家

 結局、野十郎は最初の増尾の土地探しで世話になった伊藤武氏の再びの口利きで、本家筋の広い屋敷の一隅にある以前武道場だった小屋を借りることができ、十二月下旬、同じ町の増尾に戻ってきた。しかし、これからは以前のアトリエと区別するために「柏のアトリエ」と呼ぶことにしよう。
 こんどこそ終の棲家になる、と画家は思っただろう。すこし身辺の整理がつくと、「女先生」の夫武藤重喜氏に引っ越しを知らせている。「師走の碁の頃急にこちらに引っ越して来ました。森の辺の薪小屋を借りて住み込み仕事も出来るようにしたのです。この四、五日やっと落ちついて仕事も始めました。
 森のふちの梅や椿が咲き外に隣家も見えず窓の外には色々の小鳥たちが遊んでいます。先日タバコ沢山有り難く存じました。いずれその内お伺い方々お話も聞かせていただきたく存じます。いつのまにか立春になりました」。
 武藤ゆうさんは、画家が一年ぶりに増尾に戻ってきたことを知って訪れた。高島さんが土間と板張りの住まいでは身体が痛いのではなかろうかと、「女先生」が翌日駅前の寝具店からマットと布団一式をとどけさせた。例によって画家が「どうしてこんなことをするのですか」と尋ねても、彼女は「お願いですからこれでお休みになってください」と自分の手でさっさと布団を敷いてしまう。
 のちに野十郎没後記念のカタログを読み、彼女は画家が他人とりわけ女性から物品を贈られるのを嫌い、置いて行ったものはすべて拾てるか焼却した事実を知り、にもかかわらず「先生」がマットと布団を黙認したのは、品物が大きすぎて処分できなかったからかしらと夫妻で笑った。
 高島さんがコーヒー好きだったので、彼女は休診日の木曜日を利用して訪れ、さり気なく角砂糖を用意したり、やかんに水をたしたり、なにかとこまかな心遣いをした。高島さんも相手が気心のしれた、また仕事をもつてきぱきした女性だったので、うるさいことは言わなかった。そのうちに画家が小さな鍋で野菜を煮ていっしょに食べませんかと勧めるようなこともあった。

『過激な隠遁~高島野十郎評伝』 求龍社


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