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西洋美術研究者が語る「日本美術は面白い」 №59 [文芸美術の森]

          歌川広重≪東海道五十三次≫シリーズ
           美術ジャーナリスト  斎藤陽一

          第10回 「丸子名物茶店」

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≪名物はとろろ汁≫

 前回は「蒲原夜之雪」(第16図)を紹介しましたが、今回は、途中の宿場「由井」「興津」「江尻」「府中」を省略して、「丸子名物茶店」(第21図)を取り上げます。
 「丸子:まりこ」は現在の静岡市駿河区丸子。江戸時代には「鞠子」と書かれることもありました。

 この絵に描かれている藁ぶきの家が「とろろ汁」を名物として客に出す茶店。丸子名物の「とろろ汁」とは、天然の山芋を擂り、汁であわせたものを麦飯にかけ、それに青海苔と唐辛子の粉を振りかけて食べるというもの。旨そうですね。

 今、この店では、二人の旅人が床几に腰を掛けて、とろろ汁を食べている。横に置かれている円筒形のものは酒を入れる道具「ちろり」でしょう。背中を向けた男は、とろろ汁を肴にして酒を飲んでいるらしい。二人の横に立っているのは茶店の女。赤ん坊を背負って給仕しており、生活感が出ています。
 茶店の奥には、焼き魚を串に刺した巻き藁も見える。茶店の看板には「酒さかな」「お茶漬」と書かれているので、名物とろろ汁以外のメニューもある。
 軒下には干し柿が吊るされている。ちょっと甘いものが欲しいときには、「姐さん、あれを呉れェ」と注文するのでしょう。
 と、こんな具合に当時の茶店の風情が細かに描写されていて、なかなか楽しい。他の図でもそうですが、広重の描写は、細部を描き込むことが多く、それが絵を読み解くときのヒントとなり、また見ていて楽しいのです。

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≪旅人は弥次さん喜多さん?≫

 この二人の男は、どうやら「弥次さん、喜多さん」らしい。言うまでもなく、十返舎一九が著わした滑稽旅小説『東海道中膝栗毛』に登場する弥次郎兵衛と喜多八というコンビです。この二人の旅を面白おかしく書いて、当時、大ヒットしました。
 この本は、享和2年(1,802年)から刊行が始まり、文化6年(1,809年)に完結したので、それは広重6歳~13歳の年頃にあたります。(その後、続編も刊行されている。)
読書家だったという広重は、世間で評判のこの本を読んだことでしょう。この本には、弥次さんと喜多さんが丸子の茶店でとろろ汁を注文する場面もあるので、それがこの絵の発想源であったと思われます。

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≪芭蕉から学んだ自然観照≫

 もうひとつ、広重の脳裏にあったのは、芭蕉の次の句でしょう。
 
   梅若菜丸子の宿のとろろ汁    芭 蕉

 芭蕉が大津に滞在していた元禄4年正月のこと、弟子の乙州(おとくに)が江戸に旅立つときに句会を催した際、餞(はなむけ)として詠んだ発句です。(俳諧撰集『猿蓑』)
 句意は:新春を迎えて、あなたの旅は、梅の花盛りや青々とした若菜に迎えられ、丸子宿のとろろ汁もうまい季節でしょう・・・
 芭蕉はこのような句で弟子の旅を言祝(ことほ)いだのです。これに対して、乙州は、

  笠あたらしき春のあけぼの     乙 州

と付けています。

 寛政9年(1,797年)生まれの広重は、寛永21年(1,644年)生まれの芭蕉よりもおよそ150年ほど後の人ですが、芭蕉の世界と精神にあこがれを持っていたと言われます。
 このことを念頭において広重の風景画を眺めると、そこに漂う旅の哀感や詩情、いわゆる「俳味」と言われるもののひとつの源泉が分かるような気がします。

 この絵には、広重が十返舎一九から学んだ人間の滑稽味と、芭蕉から学んだ自然観照とが反映しているように思います。

 絵の左側に、天秤棒に菅笠と蓑をくくりつけて、とぼとぼと坂道を上っていく男が描かれていますね。
59-4.jpg 男は、一服したあと、茶店に背を向けて左方向へ、すなわち絵の外側に続く街道へとまた歩んでゆくのです。
 この部分にこの男を描き入れることで、街道をたどる動きと方向性が生まれていますね。
 この男が描き込まれなければ、絵は茶店の光景だけで完結してしまい、旅の持つ連続感というような味わいは生れてこないでしょう。しかもこの男は、例によって、顔を見せずに背を向けた後ろ姿に描かれる・・・そこには、そこはかとない哀感もにじみ出ている。これまでの図に何度も見てきた、広重が好んで使う描写ですね。
 この男の背後あたり、茶店の横には、芭蕉の句を踏まえて、白い花を咲かせる梅の木と青く萌える若菜が描かれていることにもご注目を。

 次回は、途中を少々飛ばして、「御油・旅人留女」(第36図)を紹介します。


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