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じゃがいもころんだⅡ №51 [文芸美術の森]

ホットケーキ

            エッセイスト  中村一枝

 昼ごはんというのは、外にいる場合を除いて、家にいると何となくおっくうで、それでいて抜いてしまうと、これはまた決まって夕飯まで何となく間がもたないという、厄介な代物である。
 今、私は、半製品化しているホットケーキ(フライパンで両面を温めればそれで終わりという)代物を愛用しているが、私の子ども時代と言えばざっと七、八十年前、こんな便利なものはなかった。小麦粉を卵を牛乳で溶いてまぜてふくらし粉(今はベーキングパウダー)をちょっと入れて、という、それでもホットケーキはかなり上等な嗜好品であった。それは伊豆の伊東に疎開するまで続いた私の楽しみだった。小麦粉が姿を消し、バターもなくなり、いつのまにかホットケーキは手のと届かない高級品になった。
 今はふんだんにどこにでもあるホットェーキだが、七十年も食べ続けていることにちょっと驚いている。よっぽど好きなのねと聞かれれば、大好物でないにしても嫌いでない事は確かだろう。戦争中、ものがどんどんなくなっていく中で、いつしかホットケーキも頭から消えて行った。森永キャラメルの最後の一箱を箪笥の上にのせておいた。背伸びしてのぞくと、キャラメルの黄色い箱が燃えている間はほっとしていた。それもいつしか消えた。あの時代を経験している人には、まわりから物がなくなっていく不安と厳しさがいまだに心の隅に根付いているはずだ。
 コロナが蔓延しようと、緊急事態宣言が出されようと、あの時代の逼迫した空気と比べれば何ほどのこともない。子どもごころにも、戦争の中にある不安をいつも感じていたことを思うと、今、戦火の中にいるイスラエルやミャンマーの子どもたちのことをつい思ってしまう。少数の人間の勝手な判断で右往左往しなければならない権力を持たない多くの人たちは、自分もいつかそうならないためにも、国には常に耳を立てているべきなのだ。
 それにしてもあれから七十年以上はたつのに世界に戦争のない時はない。そして苦しむのはいつも一番弱いもの、女性や子どもたちだということを、為政者であるどの国の男も感じないのだろうか。世の中の考え方がこれだけ進んでいるのにと、不思議でしかたがない。
 戦争を知る世代が年々減っている。多分私たちの年代を境に、昔あった非常な戦争なんて思い出す人もいなくなる時がきっと来る。
 私はそれが一番こわい。そしてその時一番辛い思いをするのはか弱い者たちであるという事実・・・。
 原爆にあれほど悲惨な目にあいながら、なおも原発を後生大事に抱え込んでいる日本など一番いい例ではないかと、毎日、思っている。
 ホットケーキが昼ご飯として食べられる幸せなんて、とても得難い幸せであることを改めて思い知るのである。


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