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じゃがいもころんだⅡ №41 [文芸美術の森]

自由な時代

        エッセイスト  中村一枝

 今、テレビを見ていると、テレビというのは朝から世間のいろいろのことを残らずしゃべっているものだ。今の子どもは随分小さい時から世の中の事、大人の世界の話、何でも承知しているのだろう。それに比べると、私の幼い時代は情報というものがほとんどなかった。我が家はそれでもよその家より客が多かったから、その分、いくらかは幼な心にも世間の風が入ってきてはいたものの、大人の話から子どもなりに推測するしかなかったのだ。体の弱い私は家にいることが多かったから、その分、大人の話を聞いては自分なりにあれこれ考えもし、楽しみにしていたらしい。
 子どもの頃、父親が小説家だということに誇らしさと同時に、一種のひけめを感じていた事はどこかに書いた。よそのお父さんは白いワイシャツに背広を来て鞄を持ち、毎朝お勤めに出かけていく。うちのお父さんは朝遅く起きてきて、前を開けたままのドテラ姿で(子どもにはだらしない格好に見えた)起きてくる。(夜中に原稿を書いているなどと思ったこともない)父親の職業が小説家だということに一種の引け目を感じていたのだ。毎朝、白いワイシャツにかばんを持って出かけて行くお父さんはとてもかっこよく思えたものだ。 小説家などよりお父さんが勤め人げあることの方が身分が上だと思っていた。子ども心に背広を着ている人の方がどてらを着ている人よりも上等な人間だと思っていたふしがある。前にも一度書いた気がするが、一度、父の昔からの知り合いの男が、お手伝いさんと私が二人だけでいるときに玄関から上がりこんできてとても怖い思いをした。お手伝いさんと近くの交番に駆け込んだ。そのことで父が烈火の如く怒って、男を立ち入り禁止にしたことがある。
 父の子どもの育て方は行儀作法は二の次で、いやしいことだけはすべきではないという、それにつきるようだった。その教えは幼な心にも染み込んでいた。男の子だから、女の子だから、という感覚は父の中になかった気がする。そういう育てられ方をした覚えがまるでない。自由といえばこの上なく自由だったし、うるさい制約は、母からはあっても、父からはまるでなかった。
  母は昔気質の女性で、余りお転婆なこととか外遊びとかは禁止しないまでも、女の子は女の子らしくというのが本音だったのではないか。
 そのくせ、料理とか味付けは母よりも父の方が上手で、父の舌の絶妙さは子どもこころにも感じていた。
 もう何十年も前に亡くなった父のことを時折思いだすのは、多分、私がその父の時代に近づいた来たせいなのだろう。(年齢で言えば私のほうがずっと年上だ)今、あんな人はいないと思う。あの時代にしては、世間や時代の流れに左右されない、自分なりの識見を持っていたのだとつくづく思い知らされる。古き良き時代という言葉もあるが、古き良き時代は今よりすっと偏見がなかったと、つくづく思う。s

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