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海の見る夢 №6 [雑木林の四季]

          海の見る夢
        -あたしはあたしー
            澁澤京子

 昔、友人Aがよく家に泊まりに来ていて(連泊もよくしていた)、ある日、私の部屋にあるプレヴェール詩集を見つけ、これはフランス語?と聞き、本をパラパラめくって短い詩を見つけた。
「これはなんて発音すればいいの?」
「ジュ スィ コム ジュ スィ・・っていうんじゃないの?」
高校の時、イギリスに留学していたAは英語は堪能だったけど、フランス語はまだ知らなかったのだ。

「ジュ スィ コム ジュ スィ・・ジュ スィ フェト コムサ!(あたしはあたし、あたしってこんな女よ!)」プレヴェールの『私は私よ』という詩。
Aは本を片手に、腰に片手をあてたり広げたりのジェスチャーを交え、いきなり蓮っ葉なフランスの女っぽく詩の朗読を始めた。Aのその様子があまりに可笑しかったので、私は涙を流して笑い転げた・・Aは中学からの同級生。かなりいい歳をした大人になっても、二人はまだごっこ遊びをしていたのだ・・「見栄っ張りで気取り屋の奥様ごっこ」「ダンディな叔父様ごっこ(これはAが得意で、眉をしかめて低音でしゃべるのが、ダンディな叔父様らしく見えると思っていた)」「男の子ごっこ(語尾に~だぜ、ぜ、をつけるだけ)」・・その他いろいろなごっこ遊び。フランス人ごっこもその一環。結構二人ともその気になって、役に成りきって陶酔していたものだった・・はっきり言って、すごいバカだったと思う。しかも、まさかその後Aが本当にフランス人と結婚するとは、いったい誰がその時想像したであろうか?人生って先がどうなるかまったくわからない・・

声色を真似るのがうまかったAは、その後フランス語も堪能に。Aを見ていると、語学上達にはモノマネの才能も案外役に立つのかもしれない、と思ってしまう。

この間『フランシス・ハ』と言う映画を観ていたら、仲のいい女子大生二人が「ねえ、久しぶりに喧嘩ごっこやらない?」と言って二人が路上でいきなり喧嘩ごっこをやるシーンがあり、アメリカにもいい歳をして、こういう幼稚な遊びをする女の子たちがいるんだ、となんだか懐かしかったのだ・・『フランシス・ハ』は、なかなか大人になりきれなくてもがいている女の子を描いた、秀逸な映画だと思う。なぜ「フランシス・ハ」というタイトルなのかはラストにわかるけど、オチもなかなかお洒落。

少女から大人の女になる途中の、一体何になったらいいのかわからない中途半端な時期。その気持ちはよくわかる・・音楽とか舞踊は才能の開花がとても早い。十代、二十代のごく早い時期に一生の仕事が決まってしまうようなところがあり、才能があって早くに道が決まり、それに向かって懸命に努力する人々を、若い時、私はとても羨ましく思っていた。(努力も才能の一つというけど、才能のある人にとって努力は苦でもなんでもないものなのだ)だから、『フランシス・ハ』の主人公がパッとしないダンサーという設定であるのも、なんだかとても共感できる・・

20歳を過ぎた頃、女友達でも優秀な人達は着々と好きなことを仕事にするための努力をしていたし、早くに結婚をして、すでにこのまま結婚生活を続けるか仕事をはじめるかで悩んでいる友人もいた・・「女の自立」が盛んに言われている一方で、私の周囲にはお見合いで結婚が決まっている友人もいた。また、いい人を見つけて結婚するのが女のゴールという、ジェーン・オースティンの小説のような時代の価値観を持っている女の子も少なくなかった。(18世紀イギリスの女性に相続権はなかったので)ジェーン・オースティンはそういった18世紀英国の保守的な価値観の中で、懸命に自由に生きようとする女性を描いたので時代を超えた今読んでも新鮮だし、男性の奴隷には決してならない彼女の小説の主人公たちは、自分をしっかりと持ってイキイキと生きているので今も十分に魅力的なのだ。

ちなみにジェーン・オースティンの小説を読んでいると、両親が出かけている留守に若い女の子や男の子たちが皆でシェークスピアなどの戯曲を自宅で練習し、衣装を縫い本格的に舞台を設置して、音楽の伴奏をつけて舞台を演じるシーンが出てきて、とても楽しそうなのである。ジェーン・オースティンはそういった18世紀英国の若い男女の遊びの時間に、さぞかし自作の戯曲でその才能を発揮したのだろう・・ジェーン・オースティンの従妹はマリー・アントワネットと舞踏会で一緒になったことがあるそうで、彼女はちょうどフランス革命前~革命後のイギリスに生きていたのだ。

ある時、やはりAが私の家に暫く泊っていたときのこと。私の両親はどこかに出かけていて、二人で「新春・かくし芸大会」をテレビで観ていたからお正月だったと思う。
「ああ・・芸人が羨ましいわ・・」とAがふとつぶやいた。テレビでは誰か芸人が綱渡り芸を披露していた。
「だって、綱渡りをやれと言われたら一生懸命それだけ練習すればいいのよ?・・私は綱渡りでもなんでもいい、一生懸命何かに打ち込みたい・・」Aの気持ちはわかる、と思った。何が美しいって、人が命がけで何かに打ち込んでいる姿ほど美しいものはない・・要するに二人ともこんな風にダラダラ毎日を過ごしているのが嫌だったのだ・・その頃、私もAもあまりに自由すぎて、とても空虚な日々を送っていたのだと思う。
「何というか、神の使命、ミッションみたいなものでしょう?」
「そう、神様にこれだって命令されたら、私、なんだってそれを命がけでやるわよ・・」
二人は並んで座って黙りこくったまま、「かくし芸大会」を見ていた。

それからしばらくたってAはフランスに行くことになり、私は結婚した。フランスから夫と子供を連れて帰ってきたAとよく御互いの子供を預けたり預かったりした・・子供が小さかったあの日々もすでに夢のように遠い。

成熟するとは、人と人が理解し合うのは困難であることを知ること。どんなに仲が良くても御互いに理解できないことはある。それがわかったときにはじめて、人の苦しみと悲しみには黙って寄り添うしかすべがないことがわかる。

「あたしはあたし」

「私」とは遺伝子の記憶の遠い過去から今までの歴史の総体なのである。それは決定されていて、同時に私たちは予想不可能で不安定な存在でもあるのだ。私の中にある膨大な記憶の倉庫、それが唯一無二の私であり、また想像と創造力の源泉にもなっている。

予想不可能を抱えているということは 絶えず不確実で不安定であるということだけど、不確実と不安定は同時に希望と力にもなるのだ。

そして、本当に幸福なのは、「あたしはあたし」、私のあるがままの状態でいるときだけだと知ることだろう・・そしてその唯一無二の私を黙って丸ごと受け入れてくれるのが、本当の愛なのだと思う。


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