SSブログ

日本の原風景を読む №24 [文化としての「環境日本学」]

コラム

  早稲田大学名誉教授・早稲田環境塾塾長  原 剛

天蚕糸への思い
 「推定価格五二五万円」。安曇野市天蚕センターに、「やまこ」または「やままい」と呼ばれる、日本原産の野蚕の絹糸で織られた和服が展示されている。ほのかな萌黄色と微妙に変化する光沢が相まって息を呑むほど優雅である。
 「やまこ」は栽培された桑ではなく、野山でクヌギやナラの葉を食べて育つ。やまこは極度に敏感で、野鳥の鳴き声に反応して繭の糸がそこだけ細くなる。長円形の平均的な繭の大きさは長さ四・八センチ、幅一・五センチ、重さは家蚕の二倍、六グラム。木の葉の色をふくんで、自然感あふれる萌黄色になる。
 足踏み式の座繰り練糸機を用いた糸づくりと手織り機に上る機織りを経て、繭は生地に仕上る。
〝五二五万円”の織手は望力映子さん。四〇センチ×二〇センチの生地を一日がかりで織る。年四反の生産にとどまるとはいえ、「天蚕織は安曇野二百年の文化です。絶やすわけにいきません」。ショール、マフラー、ペンケースなどに織られている。
 糸の作り手は大淵智恵子さん。こちらはもう神業といいたい。お湯に繭を五個浮かせ、クモの巣より細い糸を同時に引き出し、親指と人さし指の触感を頼りに、瞬時に練糸機にかけ生糸にまとめていく。
 皇后は毎年五月、皇居の野蚕室で天蚕の卵二五粒を付けた短冊形の和紙一五枚をクヌギの木に付ける「山つけ」を行う。皇后の伝統行事である。

魂で酒を飲む
 会津と言えば酒である。
 へ小原庄助さん なんで身上つぶした
  朝寝、朝酒、朝湯が大好きで それで身上つぶした
 (大方の男性憧れの歌です」。
 酒豪でなる柴川酒造の常務、会津っぽの東条武夫さんは断言する。「あえて言わせてもらえば、会津人は魂で酒を飲むの風情があります。時には戊辰戦争などを想って」。
 山好きの会津文化人、粂川酒造の宮森久治会長は、JR会津若松駅前にあった酒蔵を、山行の日々にひそかに味わっていた甘泉の地・磐梯町中曽根に移した。一六年前のことだ。ほどなくその湧水は環境庁(当時)から「名水百選」に選ばれる。四万五〇〇〇坪の広大な敷地は仏都・会津の中心、慧日寺の境内に隣り合い、一隅をけもの道が走る。
 全国の作況指数が七四の大凶作に見舞われた一九九二年、山あいの棚田で米を作る柴川酒造の契約田は平年と変わらぬ一〇アール一〇俵(六〇〇キロ)の収量をあげた。「森からの出水が、土の潅漑水路をゆっくりとめぐり、太陽に暖められ田をうるおしたためでしょう」(宮森会長)。農政が莫大な費用をかけ、コンクリート二面張りの潅漑水路に〝改善〟しているさ中の光景であった。
 九月には新米が穫れ始め、十一月には仕込み、そして新酒が。「酒米の品質次第で、秋上がり(良)、秋落ち(不良)となります」(東条さん)。緊張の季節の到来である。

アルゴディア研究会
 出羽三山への郷土愛盛んな人たちが「アルゴディア研究会」に集い、湯殿山への古道「六十里越街道」の復活に努めている。会の名称は、この地域の言葉「あるごでっあ(歩こうよ)」と、明治十一年、山形米沢盆地に理想郷(アルカディア)を見た英国人女性旅行家イザベラ・バードの記述による。
 鶴岡市に住む元銀行員茂木征一さんは、月山のたたずまいと人々との営みをこよなく愛し、アルゴディア研究会の副会長を務めている。日々六十里越古道のどこかで、花の木の苗や草刈りの鎌を携えた茂木さんに会うことが出来る。有数のコメどころ、豊かに実る庄内平野を指して茂木さんは「水とイネ」の神々の始祖だと言う。「稲と水の神の原点はブナの森です。木洩れ日の林床を縦横に走る水流こそ庄内平野の富の元です」。映画『おくりびと』の撮影現場、注連寺も六十里越街道に連なる。「阿弥陀如来が宿り、空海が訪れたこの場所でこそ撮られるべくして撮られた映画です」。茂木さんは強調する。未だ生を知らず焉ぞ(どうして)死を知らん」。小説『月山』の巻頭言に、アルゴディアの同人たちはひとしく思いを深めている。
 アルゴディアの有志は九月十六日、注連寺に集い中秋の月を眺めてきた。茂木さんの名刺は全面、十王峠からの雪の月山の写真だ。その中空に満月が架かっている。天地有情の風景というべきか。

『日本の「原風景」を読む~危機の時代に』 藤原書店



nice!(1)  コメント(0) 

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。