SSブログ

批判的に読み解く歎異抄 №27 [心の小径]

『異議編の批判的読解~歎異抄の著者唯円の立場』を掲載するにあたり、「全体の構成」中の註・資料を省略しましたが、「おわりに」に入る前に改めて註、資料の部分を付記して紹介します。
 
歎異抄の構成
         立川市光西寺住職  寿台順誠

2、「師訓篇」及び「異義篇」の構成と両者の関係

次に「師訓篇」と言われる最初の一条から十条までは、どういう並びになっているのか、どういう仕組みでできているのかってことについて、関連する四人の学者、すなわち、香月院探励(4)、妙音院了祥、藤秀曙(5)、早島鏡正(6)の見方を配布資料の5-6頁に記しておきましたので参考にして下さい。
 また、「異義篇」についても、どういう順序で並んでいて、どう分類されるかということについて、四人の学者、すなわち妙音院了祥、妙音院了祥、藤秀曙(7)、梅原真隆(8)、早島鏡正(9)の説を配布資料の6-7頁に並べ、関連する書物を注に載せておきましたので、随時参照でぃてください。

(4)探励は、『欺異抄』全十八ヵ条の大綱は「勧信誠疑」(信を勧め疑を誠めること)であるとするが二条をその「勧信誠疑」を説く総論的な条文とした上で、二条が「勒信」を説く条文二二条を一条の言う「弥陀の本願には、老少・善悪のひとをえらばれず」を表す条文、四条~八条を一条の「念仏にまさるべき善なきゆゑに」を示す条文、九条を「悪をもおそるべからず」を表現する条文、そして十条を「結び」の条文としている(香月院深励「欺異抄講林記上・下」一八一七年『真宗体系』1930年、23巻386-389頁、24巻27頁)。

(5)藤は、「とおおせそうらいき」という言葉が二カ所(三条と十条)あることに着目して、「師訓篇」を大きく二つに分け、まず一条~三条を「唯信」を説く条文、次に四条~九条を「唯称」を説く条文だとしている。また、一条を「誓願章」、二条を「念仏車」、三条を「往生章」と呼んで、これらは信仰の「体」(絶対性)を示し、「我と仏(法)の関係」を明らかにする条文、四条を「慈悲章」、五条を「回向章」、六条を「自然章」と呼び、これらは信仰の「相」(柔軟性)を「我と人との関係」において説く条文、七条を「無碍章」、八条を「非行章」、九条を「歓喜章」と呼び、これらは信仰の「用」(弾力性)を自己そのものの内面生活に即して説く条文であるとして、最後の十条を「無義章」と呼んで前九か条の結びをなすものだとしている(藤秀曜『歎異抄講讃』百草苑、1998年〔八版〕、539-540頁。他に、211貢、268-269百、344-345頁、382百、518-519頁、551頁、845-848頁参照)。

(6)早島は、一条を「他力のすくい」、二条を「ただ念仏して」、三条を「悪人正機」、四条~六条を「真実の愛」、七条~十条を「念仏に生きる人びと」 を表すものだと分類している (早島鏡正『欺異抄を読む』講談社、1992年)。

(7)藤は、「異義篇」各条につき、十一条を「名号」、十二条を「学問」、十五条を「報土」、十七条を「辺地」を主題とする条文として、これらの条文で批判される異義を「誓願派・理論派・哲学派・観念派・高踏派」 の異義と呼び、十三条を「宿業」、十四条を「報謝」、十六条を「廻心」、十八条を「法身」を主題とする条文として、これらで批判される異義を「専修派・実行派・倫理派・功利派・常識派」と呼んでいる(藤前掲書、31-32百、34-36頁、104頁)。

(8)梅原は、「異義篇」を「概念化の異義」(観念的な「智」を固定化し、誓願不思議を信ずる者)と「律法化の異義」(実践的な「行」を功利化・律法化し、名号不思議を信ずる徒) に大別し、十一条(誓名別執の異義)・十二条(学解往生の異義)・十五条(即身成仏の異義)・十七粂(辺地堕獄の異義)が前者に、十三条(怖畏罪悪の異義)・十四条(念仏滅罪の異義)・十六条(自然廻心の異義)・十八条(旛呈分報の異義)を後者に配当している (梅原真隆『欺異抄』宝文館出版、1989年、15123貢。他に、梅原真隆『大蔵経講座 正信侶講義・欺異紗講義』東方書院、1933年、207-217貢‥同『歎異妙の意訳と解説』親鸞聖人研究発行所、1928年〔十七版〕、187-205等参照)。

(9)早島も「異義篇」を「概念派の流れに属するもの」と「律法派の流れに属するもの」に分けて梅原真隆の見解をほぼそのまま踏襲している (早島前掲書)。

名古屋市中川区 真宗大谷派・正雲寺の公開講座より異抄の構成


nice!(1)  コメント(0) 

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。