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日本の原風景を読む №23 [文化としての「環境日本学」]

月の山に祈るー月山

 早稲田大学名誉教授・早稲田環境塾塾長  原 剛

母の胎内へ
 巨木、巨岩に宿る日本の神々と大陸渡来の仏が今も密度濃く共生している祈りの山、月山。「東日本大震災の後、月山を訪れる人が増えました。皆さん心の拠りどころを求めているように思えます」(出羽三山神社・吉住登志喜禰宜)。大自然への憧れ(アニミズム)と畏れ(マナイズム)の記憶がともに蘇り、聖域を訪れ、祈る人々が増えているのでは、と吉住禰宜は共感を深める。
 出羽三山の神は、山の神信仰の古層に仏教、修験道が習合したものである。羽黒山で現世、月山で死後、湯殿山で未来のそれぞれの体験を経ることで人は生まれ変わる、とされる。開祖は崇峻天皇の御子・蜂子皇子(はちのこおうじ)。人間の苦悩を一身に背負ったとされる異形の容貌は忘れ難い。
 なぜ、あなたは今、月山に詣でるのか。白装束に金剛杖の山伏たちは即座に答える。「母の胎内に入って、修行し、再びこの世に生まれ変わる擬死再生のためです」(羽黒三山神社祝部・早坂大進坊さん)。お椀型の巨大な山容に包まれ、神と仏が混在する山岳風景と対面する時、山伏たちに眠っていた本能と野性が蘇り、心の拠りどころを確信するに到るという。
 ―-山岳は人間の現世とは異なる空間であり、生まれる以前の胎内であると同時に、死後の世界ともなる。そして生と死の相互は浸透して、人間の生から死へという、一方的で終わりのある時間・終わりなき時間・循環する時の流れへ、とっくり変えていくのが修験道の時間認識なのである。(鈴木正崇著『山と神と人』淡交社)
 出羽三山神社の門前町手向(とうげ)で宿坊を経営する早坂さんは、山伏体験(修験道)を語る。最近では個人で体験修行に訪れる人の六割が女性だ。
 五月半ば、豪雪の出羽三山はようやくすべての道を冬から解放する。羽黒山(四一四メートル)、月山(一九八四メートル)、湯殿山(薬師岳五〇四メートル)からなる出羽三山は、渓流とどろく山麓から隆々と岩の稜線を連ねる残雪の山腹まで、ブナの鮮烈な新緑とほとばしる水に沸き立つ。

すべての吹きの 寄するところ
 鶴岡市、山形市などを起点に整備された道をたどり、出羽三山の聖域を回れば、日本のカミの素顔と間近に接し、私たち自身の心情、暮らしの流儀に繋がる原風景と再会することが出来る。
 月山には極楽世界を司る阿弥陀如来が宿り、過去の世界の表現とされている。羽黒山は現世の象徴である。国宝羽黒山霊の塔、月山、羽黒山、湯殿山の三神を祀る三神合祭殿などは見慣れた風景だ。推古十三年(六〇五年)空海により開山されたとされる湯殿山は、未来の世界を物語る。
 湯殿山の谷底に鎮座している山岳信仰の神は、温泉が噴き出し、全面に流れ続ける茶褐色の巨岩である。神と仏以前の自然信仰の現場、修験者たちの聖域である。

 真言宗大日坊瀧水寺の真如海上人、作家森敦の『月山』(昭和等-九年芥川賞受賞)の現場、真言宗・注連寺の鉄門海上人など、湯殿山周辺の寺には六体の即身仏(ミイラ仏)が安置されている。木喰を経て命を絶ち、浄土に到ろうとした僧侶たちの行動の激しさに、たじろがざるを得ない。
 火炎が上がり、祈繭の経が朗々と響きわたる大日坊瀧水寺で遠藤宥覚買主は語る。「拝む対象は一つ。天照大神は大日如来であり、八幡さまは阿弥陀様です」C明治元年の神仏分離令から一五〇年、神と仏が習合した信仰の場が、なおこの土地に脈々と息づいている。日本最大の財閥の中心人物が生前この社に通ったという。
 「すべての吹きの寄するところ これ月山なり」。月山と対する注連寺でひと冬を過ごした作家森敦は、うめくように記した。
 「吹き」は日本海からのシベリア烈風の景であろうが、山岳信仰に発し、神道、仏教、道教を交えた修験道が混沌と重なり合う日本文化の基層の暗喩とも思える。
 「月山は月山と呼ばれるゆえんを知ろうとする者にはその本然の姿を見せず、本然の姿を見ようとする者には月山と呼ばれるゆえんを語ろうとしないのです」。
 森敦は友人と共に注連寺から十王峠を越え、月山籠りと決別しようとする前夜の思いを記した。
 ――私にはもう十王峠から傭撤する庄内平野が、ひょうびょうとして開けて来るのです。いちめんの緑とはいえ鳥海山はまだ白く、あの秀麗な富士に似た姿をその果てにそばだてているであろう。そこには最上川や赤川がこの月山の雪から生まれ出たとも知らぬげに、流れるともなく流れているであろう。(中略)
 十王峠は幽明の境のように言われ、じじつそんなところと聞かされていたせいか、そこを越え戻ろうとするまさにこの世であるべきそうした眺めが、かえってこの世ならぬもののように浮かんでくるのですが。(『月山』)      
 昔人は峠に不思議な呪力がこもると感じ、峠を畏敬して道祖神を祀った。今も十王峠には赤い布をまとった道祖神が鎮座している。

峠は決定をしいる
 湯殿山信仰が盛んだった室町時代から約五百年、今、再び海辺の鶴岡市から内陸の山形市へ到る信仰の道「六十里越」、「出羽の古道歩き」に人気が高まっている。注連寺、十王峠(鶴岡市)などを訪れるルートを時間と脚力に合わせて選べる。
 国道一一二号と山形自動車道からも車で六十里越街道と直接交わり、名所を訪れることが出来る。この世とあの世を分けるとされる十王峠で、突然ま正面から向かい合う残雪の月山は、たとえ私たちが神仏への記憶を忘却していたとしても、神々しさに心揺さぶられることであろう。
 山形市出身の詩人、真壁仁の詩「峠」の一節を思わずにおれない。

  峠は決定をしいるところだ。
  峠には訣別のためのあかるい憂愁がながれている。
  峠道をのぼりつめたものは
  のしかかってくる天碧に身をさらし
  やがてそれを背にする。
  風景はそこで綴じあっているが
  ひとつをうしなうことなしに
  別個の風景にはいってゆけない。
  大きな喪失にたえてのみ
  あたらしい世界がひらける。 
  (『真壁仁研究』第4号。東北芸術L科大学東北文化研究センター刊)

 「大きな喪失にたえてのみ/あたらしい世界がひらける」。峠からの風景は、立ち往生している私たちに、大きな選択と決断を強いているのかもしれない。十王峠を擁する鶴岡市と西川町は、「峠」の詩碑を建てる計画である。

神・自然・人をつなぐ山伏
 ――山伏は霊山に籠り、山々を駆け、谷を渡り、難讐行を体験し、勤行を重ねることで、山岳が持つ自然の霊力を身につけるとされている。また現代における山伏は「半聖半俗」であり、神と人、自然と人、人と人をつなぐ役割をはたしているといえる。(月山・新八方十日プロジェクト「月山聖地巡礼ノ旅」から)
 羽黒町観光協会の山伏修行体験塾への志願者は絶えることがない。
 手向(とうげ)の宿坊(旅館)街には、寺と見まごう豪壮な構えの宿坊が並ぶ。坊と坊との間には立派な鳥居が立ち並び、独立の神社の様式を表現している。神仏習合の日本文化の基層が一見して理解される。習合とは異なる教理を折衷、調和することである。

『日本の「原風景」を読む~危機の時代に』 藤原書店




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