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渾斎随筆 №78 [文芸美術の森]

街上の文化

            歌人  会津八一

 年末年始の新潟の市街の賑はひは、ほんとにたいしたものだ。ことに私のやうに、五六十年も前の、もとの新潟の寂びれはてた姿をまざまざと記憶してゐるものの目には、ほんとに夢のやうな欒り方だが、その賑はひの中を、ぶらぶら歩きながら、いくらか私の気にかかることが無いでもない。
 昔の新潟の街では、何所へ行つても、看板や掲示などを、英語で書いたのはなかった。ただ所々の町角に、木で作った四角の柱のやうな郵便箱があって、その差入口に、POSTの四字が横に書いてあつたのを覚えてゐる。これは、その頃は、もう残り少くなって、殆どそれぞれの本國へ引き上げて行った外國人のための心使ひであったらしい。ところが、今の新潟の市中は、どこへ行つても、商店のひさしにも、店の中にも、英語が氾濫してゐる。これは、アメリカの人たちもこちらに住んで居るからでもあらうが、それにしても、私などには全く無茶としか思はれないやうなまちがひが多いのには、驚くよりはかない。
 まづ商店の看板には、その店の商賣を正しい英語に話しもせずに、日本語の読み方のままに、それをローマ綴りにして、クスリヤをKUSURIYA、クツ屋をKUTSUYAとかいつた風に、れいれいと書かせておくのが、かなりたくさんある。一體これは誰に見せるための看板か、私にはわからない。アメリカさんが見ても、何を賣るのかわからないし、日本人でも、ローマ字の讀めない人には、何の店ともわからない。つまりこの店は、外国の文字で看板を書いておくほどに、進歩的な店だといふことを同胞の日本人に見せつけるためといふよりほかに、何も意味の無いやり方だ。私などが學校を出たばかりに、東京で中學校の教師をして居る頃に、その學校の近くに、SEIJOTENといふ看板を出してゐる店があることを聞いたが、何うした商賣か想像がつかぬので、よく査べて見たら、それは畳屋であった。それを、そのままTATAMIYAとすれば、日本人なら誰でもわかるところを、少し気取って「製畳店」といふ新語を作り上げて、それを、そのままローマ字に書かせたために、誰一人として読めない看板が出来上ったわけだ。しかしこれは四十年も前の昔噺であるから、新興の北海の大都會を目ざす新潟の、しかも目ぬきの大通りで、そんな不見識な眞似くち繰り返したくないものだ。外國の文字さへ使へば高尚だとか立派だといふのは、二流三流の國民を以て自ら任じてゐることを天下に廣告してゐると同じことだ。立派な英
語なり、併蘭西語なり、獨逸語なりで書いても、それはそれでよろしい。が日本語を日本の文字で正しく書く方が、もつと大切なことだといふことを、皆で、よく承知してもらひたいものだ。
 けれども、伺うしても外國話で書かなければならないところは、それぞれの國の人たちがそれてを見て、よくわかるやうに、はっきりと立派に書いて貰ひたい。そこで、この市で、道路工事の時などに、「諸車止め」といふことが、英文で、エナメル製の制札となって用ゐられるが、その文句は、形容詞も、名詞も、前置詞も、動詞も、ぎっしりと一とつづきになってゐて、急いで読みにかかつても何のことか解りかねる。そのために諸車が止まらなければ、これこそ危険な制札といふべきだ。こんなところは、やはり漢字か假名で、明瞭に願ひたい。さもなければ、もつと正しく英語でやつてもらひたい。随分つまらぬことをやかましく云ひたてるやうに思ってはならない。かうするのも文化生活向上の一つの手だてだ。
 それから、少し汚ない話になるけれども、市中にある共同便所には、漢字は一つもなく、ただ英語でW.Cとある。これはいふまでもなくWATER CLOSETを省略したものだから、略したしるしに小さい點がWの下にもCの下にもあるべきところを、新潟のにはCの方にそれがない。無ければ何のことか解らなくなるといって、ひどく心配するほどのことでもないが、いやしくも市營のものにこんな誤りがあるのは、こんな點からも、市そのものの文化的水準の低さが見くびられる證據にならないとも保證が出来ない。
 道路工事でも便所でも、いづれも市役所のご管轄かと思ふが、あの立派な市役所の建物の、向って左の端の入口に、何とか協會とでもいふものの看板を、英語で書いたものが出て居た。それは私が罹災して故郷へ帰って来た頃のことだ。その看板では ASSOCIATIONとあるべきところがASSACIATI0NとなってゐたのでASSASSI2ATI0N(暗殺)といふ物騒な言葉を聯想して、あの前を通るごとに、私はいつもひそかに、陰気な不愉快な恩ひをしてゐたものだ。
 それから、これは市の方のご関係でないかもしれぬが、何年か前に、今のC・L・Eの圖書館が立派に新設されて開館式のあった時に、私なども招待を受けて行って見ると、出来たばかりの表門の扉に刻まれてゐる英語に一字まちがひがあるので、私は、ほんとに御気の毒でならなかった。しかしそれを気にする人があまり見當らないので、何うかと思って帰ってくると、その後暫らくして前を通って見ると、立派に造り直されてゐた。たぶん、アメリカさんから目玉の飛び出るほど叱られて大急ぎに直したのであらう。市にせよ、縣にせよ、そのやり方は随分いい加減のものだといはなければならない。
 私は、ついいろいろと恨まれ口を叩いてしまったが、私には、自分の郷里をもつと文化的に向上させたいといふ一心のほかに何の心もないものだといふことを、ここに特に念を押しておく。そして市の營局者たちも、負けをしみのやうな言譯などはやめにして、もつと文化的な向上を、われわれ新潟市民に、遂げさせるやぅに、態度を改めてかかってほしいものだ。
                         『新潟日報』昭和二十九年一月一日

『会津八一全集』 中央公論社

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