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批判的に読み解く歎異抄 №25 [心の小径]

異義篇をどう読むか―『歎異抄』の著者(唯円)の立場
 
        立川市・光西寺住職  寿台順誠

①十七条-辺地堕獄

 さて最後の十七条は少々ややこしい条文です。これは短いですから全文読んでおきましょう。

 辺地の往生をとぐるひと、ついには地獄におつべしということ。この条、いずれの証文にみえそうろうぞや。学生だつるひとのなかに、いいいださるることにてそうろうなるこそ、あさましくそうらえ。経論聖教をば、いかようにみなされてそうろうやらん。信心かけたる行者は、本願をうたがうによりて、辺地に生じて、うたがいの罪をつぐのいてのち、報土のさとりをひらくとこそ、うけたまわりそうらえ。信心の行者すくなきゆえに、化土におおくすすめいれられそうろうを、ついにむなしくなるべしとそうろうなるこそ、如来に虚妄をもうしつけまいらせられそうろうなれ。

  これは非常に読み難く、また分かり難い文です。親鸞は『教行信証』「化身土巻」において自らの求道の過程を、自力の修行をして浄土に往生しようとする段階(阿弥陀仏の四十八願中、十九願)から、念仏していてもそこに自力が混じっている段階(二十願)を経て、他力の信心を獲得する段階(十八願)への過程を「三願転入」として描いておりますが(本願寺派『浄土真宗聖典413頁‥大谷派『真宗聖典』356-357頁)、このことを唯円は以上のように「信心かけたる行者は、本願をうたがうによりて、辺地に生じて、うたがいの罪をつぐのいてのち、報土のさとりをひらくとこそ、うけたまわりそうらえ」と記しているのだと思います。ところが、浄土のど真ん中じゃなくてその端っこ(辺地)にしか往生できない人は「結局、地獄に落ちるよ」という異義を言っている人がいるので、それを唯円は批判しているのですね。
 ここで唯円が言っていることは教義的にはおかしくないと思います。けれども、そういうことを言っている異義者が、要するに「造悪無碍」に属する人かどうかが問題で、そうは読めないと私は思います。これは実を言うと日蓮の存在を考慮しないと分からないことです。そうでないと、『歎異抄』には読めない箇所がいくつかあるのです。例えば二条の「たとい、法然聖人にすかされまいらせて、念仏して地獄に落ちたりとも、さらに後悔すべからずそうろう」という有名な親鸞の言葉もそうです。これは、はるばる関東の地から晩年京都に帰った親鸞のところに、「おのおの十余か国のさかいをこえて、身命をかえりみずして、たずねきたらしめたまう」門弟達に親鸞が言っている言葉ですが、誰かが「念仏したら地獄に落ちるよ」と言っていたので、それで門弟達はわざわざ聞きに来たのじゃないですか。それで当時関東で「念仏したら地獄に落ちる」などと言っていた人は誰かって言うと、それは日蓮以外には考えられません。確かに念仏以外の教えが聞きたければ、「南都北嶺にも、ゆゆしき学生たち」、つまり偉い学者さん達が大勢居るからそっちに行って聞いてくれと親鸞は言っています。しかし、いわゆる「旧仏教」の学者さんたちにしても、天台宗でも真言宗でも奈良仏教でも、念仏したら地獄に落ちるなんて言ってないのです。だから日蓮の存在をおかないと『歎異抄』には読めないところがあるわけです。そして十七条もそうしたところだと思うのです(『歎異抄』の歴史的背景として日蓮の存在に言及するものとして、藤秀昭『欺異紗講讃』百華苑、1998年〔八版〕、132-134頁‥梅原真隆『欺異抄』宝文館、1989年、161-163頁参照)。
 このように十七条を読むならば、ここには「造悪無碍」に対する批判は認められません。日蓮はむしろその対極にいるような人でしょう。ですから、十七条で批判の対象となっている異義は聖道門の立場からのものだと思われますので、「専修賢善」に近いものだと言ってもよいのではないでしょうか。
 私は以上のことを取りまとめて、「誓名別信計」と言われている十一条・十二条・十五条・十七条には、どこにも「造悪無碍」に対する批判は見当たらないということを申し上げたいのです。従来、『欺異抄』を高く評価してきた人たちは皆、この四か条でもって唯円がバランスよく「専修賢善」だけじゃなくて「造悪無碍」も批判していますよ、というふうに読みたかっただけなのではないでしょうか。予めバランスが取れた人だと決めてかかって、後でそれに合わせて盛り付けしているようなものです。ところが、一見せっかく上手に盛り付けして下さって、例えばハンバーグとサラダがバランスよく置いてあるように見えるのですが、実はよく見るとハンバーグの方は本物で出来ているのに、サラダの方は蝋か何かで出来ているようなものです。結論として、『欺異抄』からは「専修賢善」に対する批判はどこからでも取り出すことが出来るけれども、「造悪無碍」に対する批判は見当たらないということを強調しておきたいと思います。

名古屋市中川区 真宗大谷派・正雲寺の公開講座より


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