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じゃがいもころんだⅡ №39 [文芸美術の森]

毎日が春の雨

            エッセイスト  中村一枝

 朝からたたきつけるような雨だ。木々の葉をたゆらせるような雨ではないが、ああ春の雨だ。
 この四月十日で八十八歳になる。この私は至って勝ってに生きている。ああ。春の雨だ、と本人はのんきに呟いているが、現実はいきなりの驟雨、春の雨らしくない。春の嵐という言葉もある通り、狂乱ぶりが春の嵐なのだ。
 八十八歳になっても年の重さに全く気付いていない。何年前と変わらぬ軽やかさで生きていると思い込んでいる。足だけは悪くなったが、今でもラケットを握ってテニスコートを走れるような感覚がする。天気が良ければなおさらだ。いつからか、少しずつ足が不自由になった。そのうち直るだろうと思っていたのに、ちっとも良くならない。いつかコートにも行かなくなり、テニスの会員もやめた。四十年以上続けてきた大好きなスポーツだったのに、思い切りよくやめたことで少しスカっとしたのだった。が、後悔しきりだ。
 テニスコートは家のすぐ真下。、歩いても10分もかからない。そんなすぐそばでテニスができるなんて、実に幸福な四十年だった。
 年の効という言葉があるが、年を重ねて尚も充実してくることも多い。でも、スポーツは年齢の衰えはどうしようもない。それをカバーして未だに元気にラケットを振っている先輩を見る度に自分の至らなさが口惜しくなる。
 「最近、お母さん、ちょっと物忘れが多いから、一度見てもらえば」
 息子に言われてがく然とした。物忘れが多いのは確かだが、私の物忘れは昔から、だと古い友だちが言った。大体がいい加減な性分、勉強にも、何事にもどうもそのいい加減さが目立つ。いい加減にしなかったのは犬とテニスくらいだ。それにしては犬はともかくテニスは少しも上達しなかった。というわけで、近くの脳神経外科へ。そこは10年前にも一度行っている。
 何となく軽い感じの院長先生で、私はその軽さが気に入っているのだが、とりあえず全部見てもらうことになった。結果は大分先になるが、いいのか悪いのか、今の所は何もわからない。
 齢をとるのはしかたがないにしても、人に迷惑はかけたくない。それだけは心の隅に根付いている。健康で元気な年寄りは理想だが、なかなかいない。いくら理想でも難しい。どうも、誰よりも本人が何とかやれると思い込むケースが多いようだ。それがなかなか理想どおりにはいかないのだ。だから余り気張らないようにしようと思ったりする。人生の終わりは、本人が終わりと思わないうちに終わってしまうのが一番幸せかもしれない。この年になってもまだ、人生のたたみ方について考えてもいない。どこか執着がある。執着はずっとついて回る。
 それにしても人生ってほんとうに人それぞれで、面白くって楽しくってというのもあれば、うんざり、とうのもあるだろう。そうだとしても、春の雨のようい急にしたたかに降り続いたり、しとしととやさしい手心を加えたり、人生ってそういうものじゃありませんか。

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