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西洋美術研究者が語る「日本美術は面白い」 №54 [文芸美術の森]

          歌川広重≪東海道五十三次≫シリーズ

           美術ジャーナリスト  斎藤陽一

第5回 「箱根湖水図」

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≪箱根の山は天下の嶮≫
 前回に「品川宿」を紹介しましたが、「東海道五十三次」そのあとの宿場は、川崎、神奈川、保土ヶ谷、戸塚、藤沢、平塚、大磯、小田原と続きます。今回は、小田原のあとにくる「箱根・湖水図」(上図)を取り上げます。
 東海道最大の難所と言われるのが「箱根越え」。その険しさを表わすのに、広重は思い切ったデフォルメを行なっています。手前に壁のような山々を連ね、中央には屹立する巨大な岩山を描いて、人の行き来を阻む難所として表している。
 そして、それらの山肌には、緑、青、薄緑、黄色、茶色、墨色などいくつもの色彩を施して、まるでパッチワークのように仕上げています。「東海道五十三次」シリーズの中で、最も多彩で鮮やかな図です。これは「箱根の険しさ」をシンボル化した表現なのでしょう。
 また、広重お得意の「近接拡大(クローズアップ)」の画法を用い、前景に思い切り大きく岩山を配したことによって、はるか奥に白くそびえる富士山との遠近感が深まっています。
  
≪印象派への影響≫
54-2.jpg このそそり立つ岩山の迫力と、ものの固有色を無視した大胆な配色は、新しい絵画を模索していた「印象派」の画家たちに鮮烈な印象を与えました。
たとえば、「ポスト印象派」の画家ポール・セザンヌ(1839~1906)は、故郷の南仏にあるサント・ヴィクトワール山を描くときに、この山の姿と色調からヒントを得たとも言われます。(右図参照)
54-3.jpg また、印象派の旗手とも言うべきクロード・モネ(1840~1926)は、ノルマンディ地方の海岸の断崖を画面に大きくとらえた絵をいくつも描きました。(右図参照)
それらは、巨大な岩の迫力と存在感を表現したものですが、そこには、広重の「箱根図」の影響があると言われます。よく知られているように、モネは浮世絵の熱烈な愛好家であり、よく研究していました。
54-4.jpg もう一人、印象派展に最も遅れて参加した画家ジョルジュ・スーラ(1859~1891)の絵を見てみましょう。(右図参照)
 
 右の絵は、スーラがノルマンディ海岸に突出したオック岬を描いたものです。鋭角的に屹立する岩を画面の中央に大きく描き、その存在感をシンボリックに強調しています。
ここには、広重の「箱根図」とともに、北斎の「神奈川沖浪裏」のイメージも反映しています。
 モネの絵も、スーラの絵も、それまでの伝統的な西洋風景画には見られない大胆で斬新な海岸風景となりました。このように、印象派の絵画を見ると、その背後から日本の浮世絵が見えてくることがしばしばあります。

≪あの大名行列が・・・≫
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 よく見ると、急峻な山道を下る「笠の列」が見えます。これは「大名行列」ですね。
小田原から山道を登ってきてようやく峠に達し、これから西に下っていくところです。ここでも広重は、滑り落ちるような急傾斜を強調し、箱根越えの困難さを暗示しています。
 箱根越えで稼ぐ駕籠かきにとっては、上りより下りの急勾配の方が危険だったらしく、駕籠代は下りのほうが高かったと言われます。
 この大名行列が、日本橋を旅立った一行だと考えれば、ここにも広重の「続きもの」の趣向が現れていることになります。彼らは黙々と国元の西国に歩みを進めているのです。
 この山道を下りきると、三島宿が待っています。次回は「三島・朝霧」を紹介します。


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