SSブログ

バルタンの呟き №93 [雑木林の四季]

「九官鳥」を知っていますか?

               映画監督  飯島敏宏

 「九官鳥?」ご存じない方が殆どでしょう。近頃、全くお目にかかることがなくなってしまった、忘れられた鳥、ですから。ちなみに手元の辞書(広辞苑)を引くと、スズメ目ムクドリ科、全身が黒紫色、嘴はオレンジ、全長約30センチメートル、巧みに人語や物音を真似る。とあります。戦前、つまり、今から76年以上前の都会の街々では、あちこちの家や遊園地に吊り下げられた鳥籠の中で、人々から掛けられた声や歌を、見事に似た声色で鳴き返してみせる鳥だったのです。僕の通った小学校の、小使室(常勤用務員の部屋)の軒先にもその鳥籠が吊り下がっていて、行き帰りに声を掛けたりしたものです。クラス一番のおどけ者のBちゃんなどは、当時人気の喜劇俳優高瀬実の声色で「ワシャかーなわんよ!」なんて声を掛けたものですが、見事な声色と抑揚で、「ワシャかーなわんよ!」と返したものです。
 九官鳥と聞いて、すぐに思い当たる方は、恐らく、超高齢の方々で、「それは、鸚鵡(オウム)と、違うの?」と思われるのが大方の人、すでに鸚鵡の物まねさえ、若い人たちには忘れられてしまっているかもしれません。
   鸚鵡返しという言葉があります。相手の言ったことを、そのまま真似て言い返すことで、歌舞伎には、名台詞を書きぬいた鸚鵡石というものもあるらしい(広辞苑)のですが、それでも、良くお分かりにならなければ、ぜひ、最近の国会中継をご覧になって、閣僚や、官僚の方々の答弁をお聞きになれば、直ちに、納得がいきます。官僚が作った文章や、上司の答弁をまるで鸚鵡のように、そっくりそのまま読み上げて答弁する、あれです。昨今は、鸚鵡はいても、なかなか九官鳥にはお目にかかれないのですが・・・
 ところで、昭和一桁生まれの僕ら昭和の子は、どこかで九官鳥や、鸚鵡に出逢うと、必ずと言っていいほど、大きな声で、「オターケサーン!」と呼びかけて、「オターケサーン!」と、そっくり真似て鳴き返すのを期待したものです。なぜ「オタケサン」なのかは、知りませんが、察すると、多分、当時は、どの家庭にもざらにいた女中さん(行儀見習いのお手伝いさんの差別語)にたけという名が多かったのでしょう。それに続けて、「オバーカさん!」とやると、「オバーカさん!」と返ってきて、周りにいた人も、一緒になって笑うのです。
 国会答弁だけではなく、与論という大きな声が、ジェンダー、と言ったとたんに、大臣から官僚から委員会から、地方選の立候補者まで一斉に女性になってしまうのも、ちょっと鸚鵡返しと言った感じがするのですが。
 ところが、僕、バルタンは、鸚鵡はそうであっても、九官鳥は、ちょっと違うと申し上げたいのです。なるほど九官鳥も「オターケサーン!」と言えば、鸚鵡に負けないほどそっくりの声で「オターケサーン!」と鳴き返しては来るものの、九官鳥からは、なぜか一筋縄ではいかない感じを受けるのです。体形が、鸚鵡のように円くなく、カラスに似て瘦せ身で黒く、体色と極端に対比的な黄色い嘴も尖っていて、奥まった目には、何かの思いが潜んでいる気がするのです。この鳥が名付けられた「九官」の由来は、中国の、舜の時代に定められた九つの官の総称で、政、法、農から、汎く音曲に至る万事を司る万能という意味ですから、この鳥を、九官と名付けたのは、この鳥が、よほど巧みに人語や物音、音曲を真似たからではないでしょうか。鸚鵡には申し訳ありませんが、「オターケサーン!」と返して、あとは黙りこくって褒美に貰った豆粒を噛んだりしている鸚鵡と違って、九官鳥は、声を掛けた僕らが立ち去った後に、自分本来の持つ美しい声を思い切り大きな声で鳴くのではないか、という気がするのです。ひょっとすると、中国からやってきたこのムクドリ科の真似上手な鳥を九官鳥と名付けた人は、その声を、九官鳥が自分自身の美しい声で鳴くのを聞きつけたからこそ、この鳥の名に九官と冠したのではないか、と。
 西暦2021令和三年の今年、コロナ騒ぎと、過剰な経済競争、民族と宗教、気象変動・・・全地球が揺れています。地上、海上はおろか、宇宙にまで戦争が広がろうとしている事実に、気づかなければならない時なのです。
米英撃滅!一億一心火の玉だ!本土決戦!一人一殺!ラジオも、映画も、絵画も、文学も、歌も、ポスターも、全      国民が声をそろえて、軍国主義政権の呼びかけを、鸚鵡返しに叫んで、滅亡への道を突き進んで行きました。後方からは自国軍の銃剣で追い立てられ、上陸した連合国軍の火炎放射器と連発銃に、無手で立ち向かって殲滅された沖縄戦線の一般人、あるいは、現在も引き続いているミャンマー国軍が自国同朋の市民を無差別無容赦に撃ち殺す映像を見るたびに、もし、75年前のあの時、少年戦士として教育され、洗脳されたぼくら少国民が、鸚鵡のように声をそろえて竹やり、火叩き、鳶口で、上陸した連続速射砲や連射拳銃で装備された兵士や、陸揚げされた装甲車、戦車の火砲の掃討射撃に立ち向かっていたら・・・当然、僕の一生は終わっていました。
 鸚鵡のように、自国繁栄の為に戦争をいとわない国々と同じように鳴き返していては、危険なのです。覇権を争う戦争は、今も、身近にあります。今こそ、決して戦争をしないと誓ったわが国は、叡知を絞って、双方に非戦を説く道を選択する時ではないでしょうか。それこそが、先の首相が称え、現内閣が継承したいわゆる積極的平和主義の真髄ではないでしょうか。今こそ、宇宙にまで戦争を持ち込もうとしている今こそ、九官鳥は、自分の声で、高らかに鳴かなくてはならないのだと・・・


nice!(1)  コメント(0) 

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。