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梟翁夜話 №83 [雑木林の四季]

「我かく生まれき」 

           翻訳家  島村泰治

えぐい見出しだが、俺はこうして生まれたと云ふ述懐のつもりだ。これには乙な切っ掛けがある。如何にも八十六年の歳月が滲む小さな桐箱がそれで、寸法はセンチなら5×8×1.5、手に取れば重みはなきが如く、繁々と眺めればじわっと齢の香がする。

それは小さいながら真面目な桐箱で、表面に金箔の文字が消え掛かってゐる。亡くなった母が「臍の緒があるはずだ」と、折に触れては話していたもので、ごく最近不図したことで見つかった。金箔は文字を探り見れば、上段一行「寿」と、下段に二行「御臍帯納」、「御産毛納」とあり、分娩直後に切り取った臍の緒と産毛のひと房を収めてある。

箱の裏は枠取りがあり、細かいデータが黒ペンで書き込んである。

出生地は東京蒲田出雲町とあるから、幼時の住まいとして覚えてゐる南六郷に引っ越す前の場所で生まれてゐたやうだ。「何男女」と云ふ枠には「長男」とある。何男女とはレトロな字並びだ。(実は三つ目の女の文字は薄れ過ぎて難読なことから判読)

父母の名前枠に「父名」「母名」とあるのも古めかしい。それぞれ廿八、廿四とあり、そうか、親たちにも二十(いや廿十)代があったのかと奇妙な感慨が走る。

続いてわが姓名、島村泰治が来て生年月日から時刻まで書き込まれてゐる。昭和十年二月十七日(戸籍上の二十六日は届出の遅れから)、午前十一時四十五分。何かの掛け違ひで、早朝「四時十五分」と思ってゐたのだが、分の四十五を聞き違ってゐたことがひょんなことで分かる。

さて、その後のデータが何とも言えず面白い。目方と背の高さが貫匁と尺寸で書き込まれてゐるのだ。それぞれ〇八貫四匁、一尺六寸五とあるのを手尺で計り、生まれたばかりの己の体付きを描いて悦に入った。

枠の最後は「扱者名」と云ふ、これもレトロな字面で今なら◯◯病院か。この欄には、大森、笠原としとある。畏れば助産婦、又の名を産婆、親しみを込めて「お産婆さん」の住所氏名が載ってゐる。記憶にもないこのお産婆さんにわが臍の緒を切られたのか、と、暫し思ひに沈んだ。

いよいよわが臍の緒らとの面会である。

自分の臍の緒など見たことがある訳も無し、産毛なども想像はできても、どんなものか見当もつかぬ。体液の滴る臓器が出るはずはないが、八十六年を経た自分の体の一部と云ふだけで、不思議な興奮を覚える。

箱の中は二つに仕切られ、それぞれ和紙で包んだものが入ってゐる。すっかり乾き切っており、体液云々の懸念はない。静かに開けると肌理の細かい別な和紙が絡まった包みがある。管状の組織が二重半ほど折り曲がってゐる。臍の緒だ。

「これが俺の臍の緒か。」

これがこう繋がって、などと妄想しつつ己が世に出た瞬間の空気を探った。産婆以外の人たちの姿を想像しながら、自分という個体の誕生を目撃する世間の有様をしきりに描いてみた。乾ききった臍の緒が、気無しかぴくりと動く。

もう一つの包みには、これも二重の和紙に包まれた茶色っぽいか細い毛がひとつまみ入ってゐる。首筋あたりから採ったものだろう、二、三センチほどが、さっくり切られて収まってゐる。

あれから八十六年、百まで生きるとしてあと十四年、思えば残り僅かだ。期して時の浪費はすまいぞ、の思ひに身を引き締める。


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