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日本の原風景を読む №20 [文化としての「環境日本学」]

神、自然、人がまじわる安曇野-常念岳

  早稲田大学名誉教授・早稲田環境塾塾長  原 剛

常念岳への想い

 信越本線松本駅発のJR大糸線で梓川を渡ってすぐ、「これより安曇野」と記された梓橋駅ホームの大きな木札が目を惹く。大町・白馬山麓に到る広大な扇状地安曇野の始まりだ。ほどなく左手から常念、燕、白馬へ到る北アルプスが、おおいかぶさらんばかりに車窓へ迫ってくる。
  安曇野。扇状地のかなたには、美ヶ原高原がゆったり横たわっている。
 いたる所に渓流が走り、澄み切った川底に水草の緑がきらめく。

 北アルプス常念岳(じょうねんだけ・二八五七メートル)を神仏の聖域、生命の水の源と仰ぎ、山麓の穂高神社と松本藩に抗した農民表の歴史を秘めた潅漑用水路「拾ケ堰(じっかせき)」を原点に、自然と人と神仏が交わる心躍る大空間、それが長野県安曇野である。
 安曇野にはわたしたちの心に語りかけ、勇気を与えてくれる原風景が息づいている。
 「原風景とは人の心を育て、鍛え、挫折したときにそこへ戻って立ち直ることができる風土性豊かな自己形成の場である」(文芸評論家・奥野健男)。
 「常念岳は私の体そのもの、神、仏に他なりません。常念岳のない風景など思いもよりません」。
 名門松本深志高校の先生だった郷土研究家中島博昭さんは断言し、次のように記す。
  -その姿には「ようこそ」と優しく微笑んで出迎える心安さは微塵もない。むしろ人を寄せ付けず、遥か遠くから己にひれ伏させるような崇高美が、見た途端、一瞬息を呑ませる。ちょうどスーパースターのような存在感が常念岳にはある。近寄り難いが、何時も眺めていたい。いっそのことその懐にとびこんで、しっかり抱かれていたい。  (中島博昭『常念山麓』)

常念校長先生

 大河小説『安曇野』の作家臼井吉見は、少年時代に常念岳が自らの精神世界となった、とその記憶を語る。
 …ぼくの出たのは、南安曇野の堀金小学校です。校長は佐藤といって、北信の湯田中近くのご出身、ぼくの三年生から六年生まで校長先生でした。うるしで染めたような、まっ異なあごひげが、胸のまん中あたりまでたれさがっている、いかめしい先生でした。この校長先生は、月曜日の朝礼の時間には、壇の上へ登られると、西空に高くそびえている常念岳を指さして「常念を見ろ!」とおっしゃいました。「常念を見ろ! 今日は良く晴れてごきげんがいい」。
 「常念を見ろ! 今朝の雪は素晴らしい」「常念を見ろ! 見ろと言っても、今朝はみえなくて残念だ」……いつでも常念の話でした。くる週も、くる週も、春になり、秋になり、冬になっても、常念岳の話だけでした。それ、長い話はなさらない。「常念を見ろ!」まぁ、だいたいそれだけでした。
 あとはただご機嫌がいいとか悪いとか、見えないとかよく見えるとかいうことでした。
 そんな話を聞いているうちに、だれがはじめたのか、自分たちの手帳へ、常念小学校何年何組なんて書き込むようになったんです。あとになって気が付くと、この校長先生のお蔭で僕らは小学校の時から自分たちの心のなかに、精神の世界っていうものがどうやらできかけていたらしい。それはうっすらしたものだったにちがいないけれど。(臼井吉見「自分をつくる」)

地域をつないだ生命の水

  春は名のみの風の寒さや
  谷の鴬 歌は思えど
  時にあらずと声もたてず
  時にあらずと声もたてず

 大糸線穂高駅に近く、わさび田が連なる穂高川畔に「早春賦」の石碑が立っている。大正初年の早春、東京音楽学校(現・東京芸大)の教授吉丸一昌が、安曇野の清例な風景に魅せられ、春を待ちわびる人々の息づかいを綴った。
 日量七〇万トン。豊科、穂高、明科の「安曇野わさび田湧水群」は環境省の「名水百選」、国土交通省からは「水の郷」に選ばれている。
 「拾ケ堰」と「大王わさび農場」が例だが、安曇野では人々の営みが水に支えられ、水が地域の結束と英知を培ってきた。
 一八二六年、水争いが絶えなかった安曇野に、村人延べ六万七一一二人が力を合わせ、全長三・七キロの「拾ケ堰」用水路が築かれた。貧しかった安曇野は一転して有数の米どころに。標高五七〇メートルの等高線沿いに、一キロメートルで三〇センチのわずかな高低差を克服しての工事だ。穂高から柏矢、豊科へ、北アルプスの山々を道連れに、水面に常念岳を映す用水路沿いを散策すれば、工夫を重ねて自然の恵みを引き出した先人の意志と知恵に力づけられる。
 大王わさび農場もまた大正時代に、一〇年かけて不毛の低湿地に造成された、水と農民の苦闘の記念碑である。四季を通じ、わさびの葉の鮮烈な緑に彩られる広大な白い砂礫、わさび田に優雅な弧を描く湧水の流れは見あきない。
 安曇野は祈りの里でもある。道端の野仏群から奥穂高岳(三一九〇メートル)の山頂に鎮座する穂高神社の「嶺宮」まで、到る所に神と仏がまつられている。 
 穂高神社の中央本殿は、安曇野を拓いた北九州の安曇族の祖先穂高見命を祭る。九月の例祭では子供船と大人船二隻が境内を三周後、大人船が拝殿前で前方の男腹と後方の女腹とを激しくぶつけあい五穀豊穣を祈る。遥かなアルプス山麓に、なぜ北九州から海神族がやって来たのかナゾだ。


『日本の「原風景」を読む~危機の時代に』 藤原書店

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