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じゃがいもころんだⅡ №38 [文芸美術の森]

私の八十年 父との思い出

        エッセイスト  中村一枝

 自分の年齢が八十年を越えたという実感がとてもうすい。何を今更、と誰にでも言われそうだ。息子はとうに五十を越えておじさんになってしまった。十五歳下の弟は今や七十二歳、いずれも熟年というより老人に近い年齢になった。
 昨日、台所のガス台の横に変なカメラがついているのに気が付いた。むすこに聞いてみると、「ガスを消し忘れたことがあったでしょう。危ないからね。」息子は遠隔操作でガスを自在に止める装置をつけてくれたらしい。有難いに違いないが、いささか、がっかりという思いも強い。息子が気を使ってくれるのは有難いことなのに、何となくむずむずした感じが拭えないのは、私が未だに自分の年を自覚していないせいでもある。
 私の弟は、父が五十を過ぎてから生まれた男の子で、当時、人生五十年というのは一つの目安であった。もっとも当時五十歳の父は、気力も体力もまだまだ十分で、そこへ突然、男の子が生まれたのだから、全身に力がみなぎるような充実感に満たされたに違いない。 その生まれた男の子が、まさに玉のような美しい赤ん坊で、当時、家に遊びに来ていた友だち三人が、みんな、すっかりのぼせてしまった。 自分の赤ん坊のころの写真を私は見ているが、猿がしぼむような赤ん坊で、ちょっとがっかりしたことを覚えている。それに比べて目鼻立ちのくっきりと整った赤ん坊は本当にかわいかった。母が私を産んだ頃と、弟の時とでは、母の胎内の栄養状態がまったく違うということを知らなかった私は、とてもがっかりしたこと憶えがある。
 父は当時巷間でも知られた美男子で、今、写真を見てもいい男だったと思う。それだけにどこへ行ってもちやほやされたらしく、母は随分苦労したのだろう。母の目をぬすんで父はちょいちょいつまみ食いをくりかえしていたのだ。
  それだけに父は娘の恋愛にもいたって寛大で好意的だった。私が好きになった人は父の担当の雑誌の編集者で、背があまり高くなく、ころころ肥っていた。いつの間にか私の気持ちに気付いた父はそれとなく気を使ってくれた。こういう父親はあまりいないのではないかと思う。母はむしろ学生である私がきょろきょろ目を走らせることを、とてもはしたないことのように言った。いつのまにか、私は父に自分の気持ちを手紙に書いて渡すようになった。
 「まったく、あんたたち、こそこそ何をやってるのよ。お父ちゃんもお父ちゃんですよ、一枝に甘いんだから。」
 母はいつも父と私に怒っていた。この恋は不発に終わったが、父にはいつまでも、青春というものに鮮やかに身を処せる自由な心が残っていたように思う。恋は実らなかったが、その間の父とこそこそ家の中でひそかに語らった思い出だけは今でも懐かしく浮き上がってくるのである。

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