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過激な隠遁~高島野十郎評伝 №45 [文芸美術の森]

第七章 「小説なれゆくはて」 10

      早稲田大学名誉教授  
川崎 浹

「ここはたたりの地です」

 しかしこの地はおいそれとは離れる事が出来ないわけがあるのです。これは一つの秘密ですが、ここは実は墓場です。この辺はさびしい処で民家も一軒もない山林でその中を小さな村道が通じていた、今市道の広い道が通っているが昔は殆ど通行人もない、ただルンペン乞食のような連中が時々通る、それらが遂に行き倒れて死んでいる。それを村人が見つけてここに埋めた。行路死人を片づける法律は明治になって出来た。明治以前は勝手に理めてしまった。この地主は昔からゴーヨクで村人から相手にされていなかった。その接地に埋めてしまったのです。何人かは分かりませんが、どうやら二人のように私には直感されます。またそれ以前五、六百年前この辺は千葉、里見などが太田道連や北条等としきりに戦った処で、この先の光団地が大戦場、団地の真ん中に首塚胴塚と札立てた大きな塚が二つ並んでいる。この辺でも小合戦があっただろうし、その討ち死者をここに葬ったと見られる、そしてこの地に大木を茂らせて何処から見ても墓場だとした。戦時中増産のため山林を開いて団地とした。さすがにゴーヨクの地主もこの墓地だけは残して廻りを田にしてしまった。結果ここだけが江ノ島の孤島のように残った事になる。ここはたたりの地です。ここに来て一年位の後にそれが分かって全くいい処に来たと私は嬉しくなったので
すが、ここは私の先輩たちのねむり場所です。
 又ここは初め地主が売らないというから借りたのですが、借りるについてこの辺にはお礼金とか権利金とかないよと言うのをこちらから無理に取らせて二万円をやり、その外建築費として大工その他に払ってこられるようにあずけて置いた金をまことにひどい方法で横領してしまった。ここは六十坪ですが当時この辺は坪四百円ですがこの地は三百円以下だったでしょう。それでもだれも買い手のない墓地です。多分坪二千円位で買い取った事になっています。私は永年この地に居てもいいだけの良心的資格を感じるのです。
 この地は酸性が強いので骨は溶けてしまっていますが、その血の臭いは永久に消えません。言ってみれば私は寝ながら毎晩彼等と話をしているのです。わけもなくここを団地風情の営利事業に渡すわけにはゆきません。地主も又私に強引な事は言いません。外の借地人には色々言って来るそうですが私の処は私のなすままにさせとくと言った態度で居ります。私も当分ここに引きこもって二年毎に研究発表をやっている個展が移転問題で仕事が出来ず、最早一ヶ年もむだにのびているのを急いで未完成作品を仕上げ、この秋個展をやるように専心することにしています…、こんな話をして、田端氏夫妻は引き上げて行った。とにかくコブタが怒鳴ったのを実見していささか驚いていた。

『過激な隠遁~高島野十郎評伝』 求龍社


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