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論語 №114 [心の小径]

三五五 子のたまわく、君子は上達(じょうたつ)し、小人は下達(かたつ)す。

            法学者  穂積重遠

 「上達」は今では学芸が上手になることに用いるが、後にも「下学して上達」(三六七)とあって、元来は「向上してその極に達す」ること。「下達」はその反対で、そういう言葉はないが「向下」である。

 孔子様がおっしゃるよう、「君子は道義に従って日夜勉学修養するから、だんだんと向上して聖賢のてっぺんにも達するが、小人は利欲にのみ志して一時の安楽をむさぼるから、おいおいに堕落して狂愚のどんぞこにも達する。」

 中井履軒いわく、「君子は一に義に志す。故に日月に益々上りてついに極に至る。小人は一に利に志す。故に日月に益々下りてついに亦(また)極に至る。『君子は義に喩(さとり』の章(八二)と立言同じからざれども、而かも語意は相通ず。」

三五六 子のたまわく、古の学者は己の為にし、今の学者は人の為にす。

 孔子様がおっしゃるよう、「昔の人の学問は自分の修養のためだったが、今の人の学問はただ人に知られんがためである。」

 「己の為」というのは、自分の立身出世のためという意味でないこともちろんであって、まず身を修めて天下国家の役に立とうというのである。

三互七 遽伯玉(きょはくぎょく)、人を孔子に便わす。孔子これに座を与えて聞いていわく、夫子何をか為すと。対(こた)えていわく、夫子過ちを来なくせんと欲して未だ能わずと。使者出ず。子のたまわく、使いなるかな、使いなるかな。

 「遽伯玉」は衛の大夫、名は環。有名な賢人で、孔子様が衛に行かれた時、その家に宿泊した縁故がある。

 遽伯玉が孔子様の所へ使者をよこした。用談終つて後、マアすわりなさいと座を与えて「ご主人は昨今何をしてござるか。」とたずねられたら、使者が「何とかして過ちを少なくしたいと心がけておりますが、なかなか左様に参らぬので困っております。」と答えた。使者が帰った後に孔子様が、「大した使者じゃ、大した使者じゃ。」とはめられた。

 孔子様がどうしてそんなに感心されたのか。伊藤仁斎いわく「およそ使いなる者は必ず詞を飾り言を侈(おお)いにしてその主の賢を挙ぐるを常とす。しかるに伯玉の使いは、その徳を称せずしてその心の足らざる所のものを以て答え、その主の賢なること愈々(いよいよ)信ずるに足る。故に夫子再び使いなるかなと言いて、以て重ねてこれを美(ほ)めしなり。(中略)道の窮(きわま)りなきを知りて、しかる後に人の過ちなきこと能(あた)わざるを知る。故に『過ちて改めざる、これを過ちと謂う。』といえり(四〇五)。けだし過ちの深く咎むべからずして、改めざるに至り触る後に実の過ちと為すを言うなり。伯玉の使い、その過ちなからんと欲すといわずして、過ちを寡(すく)なくせんと欲すといい、能(よ)く過ちを寡なくすといわずして、末だ能わずという。けだし深く聖人の心に合うあり。宜(う)べなるかな、夫子深くこれを歎ぜるや。」

『新訳論語』 講談社学術文庫


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