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日めくり汀女俳句 №74

八月四日~八月六日

      俳句  中村汀女・文  中村一枝

八月四日
青竹の太き水棹(みさお)や夏の雨
        『都鳥』 夏の雨=夏
                        
 大雨になるとせいしょこさんの塘(とも)が守ってくれる。そういう信仰が汀女の子供の頃からあった。
 加藤清正。熊本では武勇抜群の勇将と言うより、日本有数の熊本城を造り、土木工事の歴史に一ページを残し、民政に力を尽くした名君である。
 私の父は関が原に材を求めた歴史小説「箒火」「石田三成」を書いていて、そのせいで私は子供の時から三成ぴぃきだった。清正、三成、どちらも人物なのに、豊臣家に人の運、時の運が欠けていたのだろうか。夏の夜長、しばし歴史にはまっている。

八月五日
砂日傘ひしと守れる影を借る
        『薔薇粧ふ』 砂日傘=夏

 小さいときはじめて海を見た記憶は、静岡県の興津海岸だった。海の向うから水が盛り
上がって砂浜に寄せてくる。砂浜に砕け散った白いしぶきが、怪しい白黒の模様をみせるのが私はこわくって、すぐ顔を掩ってしまった。
「波がこわい」と言うと、大人たちは笑った。
「ほらこわくないでしょう。面白いじゃない」
 誰かに抱かれて波打ち際まで連れていかれた。「こわいよ、こわいよ」波の白きと砂浜の黒さと混り合った姿が何とも気味がわるく見られないのだ。私はどうもその晩、熱を出したらしい。目をつぶると、波の砕け散るさまが浮かんできた。今に至る迄私は金づちである。

八月六日
おのおのや道さけあひて日の盛り
         『紅白梅』 日盛=夏

 サミットの時、沖縄で原爆展を用意したが、結局首脳たちは見に来てくれなかったという。
 沖縄の地上戦の悲惨さも、原爆のむごさも受ける側からすれば同じ苦しみだった。そして被害を受けた側は、何十年たってもその痛みを忘れることはできない。でも加害者からすれば、もういいじゃないか、いつまでも昔のことを根に持たないで、と言いたくなるのだろう。
 被害者の気持ちのひとしずくでも理解する心情があれば、世界はもう少し住みよくなる。六日は原爆記念日。


『日めくり汀女俳句』 邑書林


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