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医史跡を巡る旅 №81 [雑木林の四季]

緊急事態宣言下番外編 もういくつ寝ると?

         保健衛生監視員  小川 優

いつもにもなく静かで、お目出度いと言い難いお正月が開け、そして再び、緊急事態宣言が発令されました。
ところが今回の宣言、魂の入っていない仏様のようで、見た目はありがたいですが、御利益は期待できそうもありません。
当てつけのように飲食業だけを悪者にし、全国の患者の増加状況を分析しないまま、1都3県のみを対象にしてスタートはしました。ところが現実は厳しく、次々と対象地域を増やさざるを得なくなったのは、ご承知のとおりです。
さらに感染を抑え込む具体的なロードマップもないまま、「一か月」と期限を設定してしまったのも、好手といえません。指標となる数値的なゴールを設定すると、いつまでたっても解除できないことを恐れたのかも知れません。しかしこのやり方ですと、科学的ではなく、政治的判断でゴール地点が動かされてしまい、その場しのぎの理屈で解除され、結局抑え込みは成功しない。そのまま次の感染拡大を招く。そして、再々度の緊急事態宣言。という負のスパイラルに陥り、拡大抑制ができなくなってしまいます。

「緊急事態宣言」はいわば伝家の宝刀で、最後の手段だったはずです。しかし今回は国民にとっては失望感しかなく、積極的に取り組もう、従おうという感情は醸成されていないように感じます。政府は従わなかった場合の罰則規定を検討しているようですが、過去の事例を顧みても、規制だけで感染拡大を抑えることはできません。

いやだ、いやだよ 巡査はいやだ 巡査コレラの先走り

幕末に日本に入ったコレラは、明治に入っても度々流行し、猖獗を極めました。感染拡大時に政府は感染者の隔離、消毒といった手段を警察力を用いて推し進めます。ところが隔離先の避病院の環境は劣悪で、さらに適切な治療が施されなかったこともあり、民衆に収容=死のイメージが定着、忌避が広がります。先に挙げた小唄が、この時にはやったものです。こうして強制的な隔離も、拡大防止には多少の効果があったにせよ、全体としての死亡率の改善には繫がらず、予防政策としては失敗であったと言えるでしょう。
結局、感染経路をどうやって断つかという環境整備と、治療体制の確保、そしてなによりひとりひとりが正しい知識を持つことが、最善の感染拡大防止策なのです。

いずれにせよ、折角の伝家の宝刀をなまくら刀にしてしまったことは、痛恨の極みです。

あだしごとはさておき。
緊急事態宣言下、史跡巡りという不要不急の外出は自粛し、お正月に引き続いておうちの中で過ごすこととします。全国の病除けの玩具巡り、第二弾です。

「富士土人形 だるま」

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「富士土人形 だるま」 ~富山県高岡市
前回もご紹介した「だるま」。全国に様々な形で伝承されています。もともとは赤い衣をまとい、張子の「起き上がり」が病気からの回復を暗示する瘡除けの玩具として、江戸時代に生まれたといわれます。

「三原張子 だるま」

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「三原張子 だるま」 ~福島県田村郡三春町
一方で養蚕が盛んになるにつれ、「起き上がり」の様が、蚕が繭糸を吐き出す姿に似ているとして養蚕の守り神となり、やがて願いをかなえる縁起物となっていきました。

「清水張子(いちろんさん) だるま」

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「清水張子(いちろんさん) だるま」 ~静岡県清水市清水区
天然痘が過去のものとなった今、だるまも疱瘡除けの役割は晴れてお役御免、といったところでしょうか。

「おころりん」

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「おころりん」 ~愛知県豊川市
だるまさんと似ていますが、こちらは三河玩具の「おころりん」。子供が生まれると、無病息災を祈り、ころりんころりんと起き上がって人生を全うするように神棚に祭ったと伝えられます。

「張子の虎」

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「張子の虎」 ~大阪府大阪市中央区道修町 少彦名神社
コレラのことを江戸時代は「虎狼痢(コロリ)」といいました。Choleraの当て字ではありますが、まさしく「前門の虎、後門の狼」、逃げようのない病だったことがよくわかります。そんなこともあってか、特効薬とされたのが虎の頭骨。「虎頭殺鬼雄黄圓」という薬に配合され、張り子の虎のお守りと共に配布されたのでした。

「五葉笹(神虎)」

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「五葉笹(神虎)」 ~大阪府大阪市中央区道修町 少彦名神社
明治になって薬としての販売は出来なくなりましたが、今でも無病息災のお守り、縁起物として神社で頒布されています。11月の神農祭で頒布される神虎は、丹波大江山でとれる五葉の笹を用いており、葉が落ちない縁起物とされています。

「五色鈴」

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「五色鈴」 ~名古屋市中区栄 須崎神社
江戸時代に疫病が流行った時に、尾張徳川家が須崎神社に神鈴を納めて疫病が治まるように記念したのが始まりと伝えられます。ご神木の銀杏の実をかたどり、五色に彩色されています。

「法華寺お守り犬 土鈴」

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「法華寺お守り犬 土鈴」 ~奈良県奈良市法華寺町
大変由緒正しい御守です。奈良時代に聖武天皇のお后、光明皇后がお手ずから犬のお守りを作り、無病息災を祈願して人々に授けられたのがはじまりとされます。ただし法華寺で尼僧が手作りされているものは土人形ですが、画像のものは土鈴です。法華寺のお守り犬をアレンジして作成されたものと思われます。

「木葉猿」

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「木葉猿」 ~熊本県玉名郡玉東町木葉
こちらも起源を辿ると奈良時代、養老年間と言われます。都の落人が夢のお告げに従って春日大明神を祀り、奉納する祭器を作るため赤土を練り、残りの土を捨てたところ猿となった。そのとき流行っていた疫病も消え去った。という言い伝えがあるそうです。悪病除け、子孫繁栄のお守りとされています。日本最古の郷土玩具の一つとされます。

「麒麟獅子」

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「麒麟獅子」 ~鳥取県鳥取市
日本各地に残る獅子舞は、いわゆる獅子、ライオンを模したものですが、因幡地方の獅子は中国の想像上の生き物である麒麟を模しています。ですから他の獅子頭と比べて面長で、どことなくユーモラスなのが特徴。そして獅子の胴体は深紅。さらに獅子を導くのは赤い猩々。そう、因幡地方の獅子舞は、悪疫が入らぬようにする清めの舞なのです。
病に対してなすすべを持たなかった人々が、心の拠り所としてすがったのがこれらのお守りや玩具。しかしながら科学がいかに高度になろうと、人の力ではどうにもならないことはなくならず、今も昔も変わらないと痛感されます。
そして今も昔も変わらないものがもう一つ、悪疫を収めること、これすなわち政を治めること、ということです。


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