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検証 公団居住60年 №71 [雑木林の四季]

第三章 中曽根民活
 Ⅶ 住宅政策大転換のはじまり一都市基盤整備公団へ再編

    国立市富士見台団地自治会長  多和田栄治

 7.都市公団5年間の事業を検証
 1999年10月に「住宅」の表看板をおろし、再開発事業に重点化して設立したばかりの都市基盤整備公団にたいし、半年もしないうちに「改革」の動きが浮上した。2000年3月に経済団体連合会が「特殊法人等に関する第1次提言」をおこなうと、11月には与党3党(自公保)が議員立法として「特殊法人等改革基本法案」を衆議院に提出、12月1日に政府は「行政改革大綱」を閣議決定した。2001年度中に、都市公団をふくめ全特殊法人の廃止、民営化、独立行政法人への移行などの計画を策定し、遅くとも2005年度末までに実行のための法整備をおこなう方針をきめた。
 発足して2年後には新法人準備室を設置した5年足らずの都市公団は、その間にどのような事業実績をのこしたのか。以下、『都市基盤整備公団史』にそって、都市公団の事業の特徴をみておく。
 都市公団は法29条にもとづいて「中長期業務運営方針」をさだめ、「事業展開の基本的な方向」「分野別の業務展開の方向」をしめし、「適切な業務運営」上の目標をかかげている。
 住都公団を都市公団にかえた最大の目的は、「住宅・宅地の大量供給」から「都市の基盤整備」への転換、なかでも市街地の整備改善事業への重点化にあった。市街地の整備改善は、市街地再開発、土地区画整理等の事業手法で進められる。基本方針を検討した公団のメモ文書には端的に「①虫食い土地等(経済対策関係)、②臨海部、③密集市街地」をあげていた。都市公団移行の1年前に公団土地有効利用事業推進本部を設置して、虫食い土地や臨海部などの遊休地の買い上げをし、整地・基盤整備した用地は民間ディベロッ
パーに安く卸し、儲け仕事づくりを支援する事業に走りだしていたことは、すでにのべた。
 第1にあげているのは再開発事業である。市街地再開発事業と土地区画整理事業に大別し、前者の代表的プロジェクトとして、公団が直接施行した晴海lT日東(2001年度完了)、大泉学園駅前(02年度完了)、川崎駅西口(03年度完了)など、民間ディベロッパーとの協調型の東五反田2丁目第1(01年完了)、東品川4丁目(03年度完了)、後者としては、みなとみらい21中央地区、さいたま新都心地区、その他をあげている。都市公団の廃止、都市再生機構構設立にむけては、東京「大手町連鎖型都市再生プロジェクト」(国有地を活用した連鎖的な建て替えによる国際ビジネス拠点の再生)をはじめ、あまがさき緑遊新都心地区、蘇我臨海地区、豊洲2丁目地区等をあげ、「大都市圏における重厚長大産業用地の再編支援」着手を前面にかかげている。
 第2の都市整備事業については、宅地政策が転換をせまられる状況のもとで、都市公団設立後、つくばエクスプレス関連の新市街地区、中部国際空港関連の事業等の認可、完了をみたものの、2001年12月の閣議決定で新規ニュータウン事業からの撤退、継続事業の速やかな終了をもとめられ、プロジェクトの見直し、事業の中止にいたっている。
 公団による宅地処分の減少がつづき、1989年度の664ヘクタールをピークに99年度には157ヘクタールにまで落ち込んだ。住宅整備地区の宅地供給だけをみると1990年度の417ヘクタールから99年度の134ヘクタールに激減している。公団はこれを契機に定期借地の供給拡大、民間事業者との連携をはかっている。しかし、いずれにせよ取得して処分できない土地の地価は下落し、金利負担がかさんで損失を出しつづけることになる。
 第3には居住環境整備事業として、①市街地の整備、②賃貸住宅事業、③賃貸住宅の建て替えをあげ、住宅管理事業には賃貸住宅の管理と住宅の供給がある。ここで特徴的なのは、前身の『住宅・都市整備公団史』まで第一にかかげてきた「住宅の建設」の章はなく、その小項目、統計数字さえも見当たらないことである。ここの「住宅の供給」の項では、都市公団になって家賃を市場家賃化したことにつづいて、たとえば「超高層住棟の上層階の住宅は家賃が高額化し、アクティ汐留の第2次募集(2004年1月)においては、公団としては最高額となる家賃額340,400円の住宅を供給した」と誇らしげに記しているのが目につく程度である。
 都市公団の住宅事業は、旧公団から引き継いだ賃貸住宅の管理とその建て替え事業に限定し、市街地再開発にともなう新規供給を除いて直接建設・供給からは撤退した。公団は既存賃貸住宅のストック活用を中心に、現地管理業務は外部化、民間委託の範囲を拡大しつつ、外にたいしてはもっぱら民間事業者の支援、土地所有者との共同事業に方向転換していった。
 第4に土地有効利用事業は、バブル崩壊後の不良債権処理がねらいだった。不良債権化した虫食い土地の持ち込み、企業リストラによる大規模な工場跡地等の買い取りが目立った.これを整形・集約化、基盤整備をおこなったうえで民間ディベロッパーに譲渡する政府は総合経済対策として公団に臨時に出資金をだし、財政投融資を貸し付け、1998年度から2004年度までの7年間の土地取得費は5,585億円、うち新規出資金は2,950億円にのぼった。しかし譲渡できた土地は、取得した土地の3分の1程度(金額ベース)にとどまった。土地譲渡は進まず、地価は下がりつづけ、巨額の欠損金が都市機構にくり越されていく。

 公団はほかに、鉄道事業、防災公園街区整備事業、都市施設整備事業、公園緑地事業をおこなっている。
 鉄道事業についていえば、公団は千葉ニュータウンでおこなった。鉄道沿線にはじまった公団の宅地開発は、鉄道建設をしての宅地開発にまで拡大した。当初は千葉県の単独事業であったのを公団がひきつぎ、1984年3月に小室・千葉ニュータウン中央間4.0kmが開業、2000年7月に印旛日本医大までの12・5kmを完成させ開業した。投資の回収まで長期におよぶニュータウン鉄道の特性にくわえ、千葉ニュータウンの入居が当初の計画を大きく下回り、苦しい経営がつづいた。輸送人員が予想を下回り毎年十数億円の赤字をだし、02年末現在で約260億円の累積欠損金だという。01年12月の特殊活人等整理合理化計画において公団の鉄道事業の見直しがもとめられ、撤退に決した。公団鉄道は京成電鉄(株)が新設した千葉ニュータウン鉄道(株)に譲渡された。
 千葉ニュータウン事業は鉄道事業をふくめ、多摩ニュータウンとともに多大の欠損をもたらし、今日も公団経営を圧迫している。

『検証 公団居住60年』 東信堂


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