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日本の原風景を読む №17 [文化としての「環境日本学」]

水俣病、二つの原風景

  早稲田大学名誉教授 早稲田環境塾塾長  原 剛

早稲田環境塾は早大冒館での講義に水俣から三人の講師を招いた.

鋼を噛んで裁判へ~水俣市茂道の漁師患者、杉本雄さん
 杉本さんは一九二九年生まれ、義母と妻栄子が次々に発病、死亡。漁村の非難、排除に遭って孤立。六九年水俣病裁判の原告家族となり、七三年勝訴。自身は一九八一年、水俣病に認定された。

杉本 ずっとよく考えてみれば、ぜんぜん病気の人を助けようとか、その病気の原因を知ろうとかちゅうことじゃなくて、次から次に、どうしたら自分が逃れるか、そこを基本に、水俣の水俣病ちゅうのは、動いてきたということですね。
 だから私は、水俣病という名前をつけてもらって、本当によかったち、と想うとる。水俣病は、水銀病じゃないです。水銀病じゃない。ほんと、水俣の一番辛い時に、私が網の親方として会合に行きよったとき、直接は見てないんですけど、ポケットに札束が入っていたと思うんです。これを上から触ってんのー、ちゅうて触らせて。
 裁判なんかよさんかい、言ったんですよね。そういうことされれば、情けなかですよ。男として。くそーと思って、それから絶対、これはもう裁判から降りんと、鋼を噛んでも裁判するぞーち、私の意志になったんですよね。   (早稲田環境塾での講義)

海よ、ふるさとよ、よみがえれ-吉本哲郎さん
 水俣市元農林水産課長、水俣市立水俣病資料館元館長の吉本さんは、水俣での経験に基づく「地域学」を提唱している。

 海も山も、漁業も農業も、大変な被害を受けていた。杉本さん夫婦は漁師だったが魚が売れないので、無農薬のみかんを栽培していた。そのみかんも売れなかった。無農薬のみかんを販売する、独自のグループの会長だったので、自分のよりも人のを先に売らないといけない。自分のものは後からしか販売先を確保できない。
 「どこか売り先はないか?」といわれたので、「どのくらいあるのか?」と聞いたら、四トンと言った。岩手の陸前高田のKさんという体重九〇キロの泣き虫へ繋ぎ、当時大丸デパートの食品部のKさんに繋いだ。
 「環境創造みなまた推進事業」ということで、「海よ、ふるさとよ、煙れ」というキャッチコピーで販売した。みかんはそうやって売れて行った。半年後、「いつか、誰か、私のことを分かってくれる人が現れるに違いないと思っていたが、まさか敵だと思っていた役場の中から現れるとは思わんかった……」と言って栄子さんは泣いた。
 「有難う、みんな、生きとっとばだいじにせんばな」。二〇〇八年二月二十八日、真夜中の〇時二十四分栄子さんが亡くなった。
 晩年、杉本さんはこう言った。「水俣病は私の守護神たい。病気のおかげで人にも魚にもよく出会う」。なんてことを言う人だろうと思い、驚いた。
 「おーい、栄子どん、今何しょっぱい」。その後、杉本栄子さんをしのぶ会を作りましたが、私は常日頃、栄子さんにこう言っちょります。「のさり」というのは「贈り物」という意味の水俣弁で、栄予さんは何時もお父さんの言葉を言いました。
  この病気もすべてを のさりと思って生きていけ
  人様はかえられないから 自分が変ってと
  生きることの大切さを教えてくれた父
                         (早稲田環境塾での講義)

私ももう一人のチッソである!不知火海の漁師、緒方正人さん
 チッソ批判の急先鋒だった緒方さんは、一九五三年熊本県芦北町女島の網元の家に生まれた。一九五九年父福松さんが急性劇症型水俣病で死亡。この頃から自身も発病。
 一九九四年患者有志で「本願の会」を結成。一九九六年、「水俣・東京展」に合わせて水俣から東京までを木造帆船「日月丸 で一三日かけて航海した。いまも不知火海で漁を続ける。早稲田環境塾の講師、家具職人・緒方正実さんの叔父である。

緒方 親爺に漁へ連れて行ってもらい、海の生命界の中で命との一体感、愛されているという実感をもちました。これより上の価値はない。深い愛情というのは深い信頼ですよね。私は六歳でそれを一挙に失った。
 国家とは何か。私は「制度としての国家」と「生国」という対比をしています。制度としての国家は必要です。通貨もインフラも制度国家のものです。他方、生国というのは命の本籍地のことではないのか。二本の足で両方「国」にバランスよく立つのが良い。
 だが、私たちは制度同家に依存し過ぎて、重心のバランスが取れなくなってきている。「生国」を裏切って海も田んぼもゼニで売り飛ばして、魔界に誘われるように制度としての同家に重心が傾いてしまい、起き上がれなくなっている。私たちはそういう二重構造の中に生きているという認識が必要なのだが、世の中では制度国家・社会のことばかりが伝えられて教え込まれる。私もまたもう一人のチッソなんです。
 国はいつも個人に対して、国を思えと教えてきました。軍国主義が例です。では、国はひとりを思うか。絶対思わないですよ。捨てるんですよ。その薄情さが身にしみているところが私にはあるんです。 (芦北町女島、緒方さん宅、書斎「遊庵」で)

 「『終わることの出来ない水俣病』を引き取って、苦界に沈む命(魂)の叫びをともに聞き、対話し、我が痛みとして引き受けてゆく事こそ祈りであり、人としての命脈を保つ事と心得ます」(緒方正人「魂石を仲立ちとして」)。


『日本の「原風景」を読む~危機の時代に』 藤原書店





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