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論語 №112 [心の小径]

三五〇 公叔(こうしゅく)文子(ぶんし)の臣太夫セン、文子と同じく諸侯に升(のぼ)る。子これを闇きてのたまわく、以て文と為すべし。

             法学者  穂積重遠

 衛(えい)の太夫の公叔文子の家臣でその家の大夫だったセンが主人の文子と銅烈の衛の朝臣に昇進した。文子の没後孔子様が賞讃しておっしゃるよう、「自分の家来でも賢人と知れば推薦して自分の同僚に引立てるとは、文子とおくり名されたのももっともじゃ。」

三五一 子、衛の霊公の無道を言う。康子(こうし)いわく、それかくの如くにしてなんぞ喪(ほろ)びざる。孔子いわく、仲叔圉(ちゅうしょくぎょ)は賓客(ひんかく)を治め、祝舵(しゅくだ)は宗廟(そうびょう)を治め、王孫賈(おうそんか)は軍旅(ぐんりょ)を治む。それかくの如くにしてなんぞそれ喪ぴん。

 「康子」は魯(ろ)の太夫、季(き)康子。おそらく「季」の字が落ちたのだろう。

 孔子様が衛の霊公の無道であることを語ったので、季康子が、「さように無道でどうして国が亡びないのですか。」とたずねた。孔子が申すよう、「衛の国では、仲叔圉が外交に当り、祝蛇が祭祀をつかさどり、王孫賈が国防に任じています。かく適材過処に国の大事を負担している以上、どうしてなかなか亡びましょうや。」

 「喪」は君がその位をうしなうことだが、日本流に「国が亡びる」としておいた。古誼にいわく、「衛の霊公の無道なる、宜しく喪ぷべし。しかるに能くこの三人を用うれば猶以てその国を保つに足る。しかもいわんや有道の郡にして能く天下の賢才を用うる者をや。」

三五一 子のたまわく、そのこれを言うことくハじざれば、すなわちこれを為すや離し。

 孔子様がおっしゃるよう、「はずかしげもなく大言壮語する者は、始めから必ずしようという気持もなく、自分にできるかできぬかも考えずに放言するのだから、その言ったことを実行することがむつかしいのは当然じゃ。」

『新訳論語』 講談社学術文庫


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