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過激な隠遁~高島野十郎評伝 №42 [文芸美術の森]

第七章 「小説なれゆく果て」6

         早稲田大学名誉教授  川崎 浹   

大義名分

十二月十三日
  番頭きて十五日までに越すかという。家もまだここと同様にはなっていない。ここの便所を見よ。ここは写真の暗室にもなるように出来ている。写真は研究に必要だ。その他のこと帽子かけの釘一本でも打たないのならここと同様ではない。前にここの地主大工等にひどい目にあわされている。二度とこんな目にはあいたくないということ、コブタにも話をし、手紙にも書いてやっている。これをこのままヘリコプターでつり上げて持って行くような、ここにこのまま仕事をつづけて居られるような風に万事が完備しなくては引っ越し交換にならない。
 それから最後に最も必要大切なことがある。一つはあの工事をやるとき材料を海のほうから運んだらしく、隣接の畑地をふみ荒らしているそうだ。そのままだとその地主、ひいては村の人達への不義理とうらみは全部その住居者にふり向けられる。
 だからその畑主の処に行って謝罪して相当の金で弁償してくること、この金は高島が出してやる。行くなら今ここで渡しておくがどうしますか。第二にこれは高島があの家に転居するには絶対必要な大切なことだ。あの地所や建物一切を千葉県か館山市に寄付すること。寄付したらその番人としてか管理者としてか高島という画かきの研究室に使い住居することを許可、認可すること。公務員ではない、その地所、家についての義務と責任は完全に負う。例えば納税、損害バイショウ等、町会費、電気水道等支払い、その義務責任にっいては詳しく書いてやる。ただそれには、どんな家を建てるかしらないが、もし租末で市のほうでこんな家は受けないというなら、川名地区か又はあの辺のなんらかのグループに寄付すること。寄付した以上はもはや釘一本無断で打つわけにいかぬ。だから家の住居に完全運行できるように仕上げること。これで高島入居、死亡又は一ヶ年行方不明になった場合は川名地区の公共建物として使うこと、ただし海水浴客等のダンスホールなどに便わぬこと、くわしくは後で書いてやる。この寄付が大切だ、こういうことにすれば大義名分が成り立つ。大義名分とはなんですか。分からなければいい。外の者にはこれだけですぐ分かる。番頭帰って行った。

十二月十四日
 コブタと番頭来る。昨日は体中が急に具合が悪くなって吐いたりした。体中がムカムカすると言って、今度は急にドナリ出す。この絵は皆インチキだ、見るのも気持ちが悪い。
 ここの家は何もかもインチキだ、ペテンだ、エゴイスト、馬鹿、畜生、恩知らず、義理知らず、とあらゆる罵声を張り上げてドナル、外の労務者たちに聞こえるようにか、身を乗り出して今にもナグル姿勢で迫ってくる。番頭は何のためか立ち上がって、コブタに加勢する気かイライラした様子。もう止める、あの家に移るのは断然止める。この高島をあの家に移そうとするなら首にツナをかけて車の後に引きずって行きあの家に放り込んで釘づけしておくより方法はないぞ、教えてやる、と宣する。コブタはこの野郎手のつけようのない野郎だとすてせりふを投げて帰って行く。

十二月十五日
 コブタには昨日言っておくべきだったことを手紙に書いて速達で出す。「提案した二つの件、隣接畑を荒らしているのをあやまること。家、敷地を寄付して入居を許すことの二件は最早必要なくなったので、その提案取り消す。このこと念のため申し送る。

十二月十八日
 コブタと社員とが田端氏夫妻を連れてきた。今度はコブタお世辞だらだら、田端は高島のいう通りにする、寄付するということはりつばなことだから市長に話す。受けるに決まっている。それで五日位の内に引っ越すようにしてやってくれないかと。そうしてもいい。しかし寄付はだれの名義になっているのか。実は先日館山市から建築出願の許可書を渡すから取りにこいという通知がきていたが、私に関係ないから放っておいた。
 ▲以下省略するが、新アトリエの名義問題、絵画の輸送方法、現在土地を借りている地主との貸借関係などで、高島野十郎の移転にはなかなか決着がつかない。

十二月二十日
 夕方地主の酒田来た。久しぶりだ。地代は大晦日に東京に行って電報カワセで送っておいた。工事が進んでいるようなので一体どうなっているのか見にきた。借地人にはそれぞれ相応の義務がある。例えば境界を守ること、又借りた時の状態で返さねばならぬことなど、貸し主の権利を並べていた。借り主の義務は一応心得ているつもりですが、それは貸借をやめる時の問題で、今は何もそんな時ではない。地所を荒らしていると言われるが、この自然に雑草や篠竹を繁らせているのは昨年からで、これは少し都合あってのことです。一体義務とか権利とか言いますが、義務と権利とは元来同じものなのです。例えば人間の一面が義務だとすれば、その反対の一面が権利とあるような事で。人の前向きが権利で背中が義務ですね。いいえ前後ではないのです。丸いゴムマリの日当たりがどちらかで、その暗い方がそのどちらかになるというのです。ええ、分かりました、とやっと分かったらしい。権利ばかりを主張しつづける奴等、いや死守している奴等、それでもやっと分かったらしく、さすが苦労している男だけある。帰って行く。


『過激な隠遁~高島野十郎評伝』 求龍社




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