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西洋美術研究者が語る「日本美術は面白い」 №49 [文芸美術の森]

         葛飾北斎≪富嶽三十六景≫シリーズ

          美術ジャーナリスト  斎藤陽一

       第15回 印象派に与えた影響

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≪「連作」という形式≫

 葛飾北斎の連作「富嶽三十六景」が西洋絵画、特に「印象派」に与えた影響については、これまでの回で、折々に紹介してきましたが、今回、「富嶽」シリーズの最後に、これまで触れなかったことをいくつか押さえておきたいと思います。

 先ず、「連作」という絵画形式です。
 言うまでもなく、北斎の「富嶽三十六景」は、ひとつの山を主人公に、各地の景物を織り込みながらシリーズとして展開した「連作」です。
 ところが、西洋絵画には、19世紀後半、明治開化期の日本から流出した日本美術を知るまで、このような発想による「連作」形式はほとんど見られませんでした。

 ですから、北斎の「富嶽」シリーズなどを見た近代西洋の芸術家たちは、これに衝撃を受け、「このような絵画形式もあるのだ!」と気づいて、そこから重要な示唆を受け取りました。特に、当時の絵画主流であった古典主義に立脚するアカデミックな絵画に反発し、新しい絵画を模索していた若い画家たちのグループ「印象派」のメンバーは、西洋絵画にはないさまざまな特質を持つ日本絵画に、希望と活路を見出しました。

 その特質のひとつである「連作」形式について見れば、たとえば、印象派の代表的な画家であるモネは、北斎や広重などの連作から啓発されて、「睡蓮」をはじめ、「積みわら」「ポプラ並木」「ルーアン大聖堂」シリーズなどの連作に取り組み、新しい西洋絵画の世界を切り開きました。

 また、セザンヌは、故郷である南仏・プロヴァンス地方の山 サント・ヴィクトワール山を生涯にわたって何枚も描いた画家ですが、彼にとってこの山は、日本人にとっての「富士山」にあたる「心の山」でした。
屈折した心情の持ち主であるセザンヌは、彼が唯一心を許した印象派の長老ピサロが手放しで浮世絵を賛美したようには、あからさまに浮世絵を賞讃する言葉を残していませんが、おそらく、彼の「サント・ヴィクトワール山」シリーズには、北斎の連作「富嶽三十六景」がひとつの着想源となって反映しているのではないか、と思います。

≪ゴッホの敬愛する“聖人”≫

 もうひとつ、北斎の「富嶽三十六景」を代表として、古来、日本美術にひんぱんに描かれる「富士山」という、特別な山の意味について触れたいと思います。

 印象派の画家たちは、たくさんの浮世絵を見ているうちに、北斎をはじめ、日本の多くの絵師たちが、繰り返し、“独特の美しい姿を持つ、凛とした風格を示す山”を描いているのに気づき、そこから、「この山は日本人には特別な山であり、日本人にとって“聖なる心の山”である」ことをただちに理解したに違いありません。

 その“発見”がどのような絵になって現われたか、ここでは、ゴッホを例に挙げたいと思います。

 ゴッホは、浮世絵と出会い、画風を一変させるほどの影響を受けただけではなく、浮世絵を生み出した「日本」という国に対する熱い憧れをつのらせた画家です。

49-2.jpg 右図は、1886年にオランダからパリにやってきたゴッホが描いた「タンギー爺さん」の肖像です。
 タンギー爺さんは、パリでゴッホが知り合った画材店の主人。寛大で心やさしい人物で、店にやって来る若く貧しい画家たちに、作品と交換で画材を与えたり、時には無償で絵具やカンバスを与えたりしていました。
 ゴッホは、このようなタンギー爺さんを心から敬愛し、ゴッホが憧れていた“素朴で心の寛い日本の老人”に重ね合わせて描いたのが、この肖像画です。
49-3.jpg ゴッホはまた、タンギーを、正面向きの姿勢でこちらに慈愛のまなざしを向ける仏像のように描いています。その周りには、自分の愛する日本の浮世絵を並べて、爺さんを荘厳(しょうごん)荘厳しました。

 特に、タンギーの頭上にある絵に注目(右図)。「富士山」ですね。
ゴッホは、この“聖人”のような爺さんの頭を富士山で飾ったのです。あたかも、西洋宗教画の聖人の頭上に「円光」が描かれるように。仏像の背後の「光背」にも同じような「頭光」がありますね。

49-4.jpg パリに出たゴッホは、熱心に浮世絵を研究する中で、多くの絵師たちが繰り返し描いている、格別に美しい姿を持つ富士山こそ、「日本人の心の霊峰」であることに気づき、“仏のごときタンギー”にふさわしい冠と考えたのでしょう。

≪「富嶽三十六景」の終わりに≫

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 これまで、No.35からNo.48までの回で、葛飾北斎の連作「富嶽三十六景」(全46図)の中から、14図を選んで紹介してきました。

 この「富嶽」シリーズの最初の回(No.35)で申し上げた通り、北斎の90年に及ぶ生涯は「絵ひとすじ」の人生であり、あらゆる絵画のジャンルに挑戦し続けました。その中で、「富嶽三十六景」を始めとする「風景画」の傑作を次々と生み出したのは、彼の晩年、七十代に入ってからでした。
 その時期に入っても、北斎の造形力は大胆でみずみずしく、そこが当時の江戸の人々のみならず、時代や国境を超えて、普遍的な共感を呼んでいるのだ、と思います。
北斎は、まことに類いまれなデザイン感覚を持った造形家であり、斬新な構図と鮮やかな色彩を駆使したその絵画世界は、現代もなお、色あせることはありません。
 次回からは、北斎の後輩にあたる歌川広重の代表作「東海道五十三次」シリーズからいくつか作品を選び、北斎とは一味ちがう広重の絵画世界を紹介していきたいと思います。
(「富嶽三十六景」シリーズ・終: 次号「広重:東海道五十三次」に続く


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