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ケルトの妖精 №41 [文芸美術の森]

ブラック・アニス

           妖精美術館館長  井村君江

 ブラック・アニスは、ディン・ヒルズという丘陵地帯の洞窟に住んでいた。背が高く、一つ目で顔は青く、長く白い歯をして、鉄の爪で人をさらった。棲み家の洞窟の入り口には大きなオークの木が立っていた。あたりが暗くなると外に出かけて、道に迷った子どもや子羊を取って食べた。そのためにブラック・アニスは人食いアニスとも呼ばれた。
 ときとして、ブラック・アニスは家のなかにも入ってくることがあった。風がごうごう鳴る音と一緒にブラック・アニスの歯ぎしりが聞こえたら、人々は家の戸口にかんぬきをかけ、窓のそばから離れて身をすくめていた。
 むかし暖炉は家のまんなかにあって、家のものはそのまわ。で暖をとりながら眠った。ブラック・アニスが窓から手をさしのべ、赤ん坊をつかみ取っていかないように、この地方の家には大きな窓がなかった。人食いのブラック・アニスが家のなかに片腕しか突っこめないようにするためだった。
 ブラック・アニスが吠えだすと、八キロ先まで聞こえ、家財道具が何もない掘っ建て小屋に住む貧乏人さえ、窓を豊な皮の布でしっかりふさぎ、魔女よけの葦を塗りこめて、恐
怖の一夜を過ごしていた。
 ブラック・アニスは冬にしかみんなを恐れさせなかった。だから春を迎える復活祭の翌日には、ブラック・アニス狩りの風習があり、この地では十八世紀までつづいていた。
 それはアニスの実の汁に猫の死骸を浸して、ブラック・アニスの隠れ家から人里まで引きずっていくという行事である。

◆スコットランドの冬はきびしい。雪も多くて寒さはひとしおである。
 人々は暖炉の暖かい火のまわりに集まっては、岩山を吹くはげしい風の音に耳を澄ませ、、「あれは青い顔をした冬の老婆が、地面を杖で叩いてかたく凍らせているのだ」と、いまでも話し合っている。
 頬の肉の落ちた一つ目の青い顔をしているとされている冬の老婆は、イングランドではブラック・ァニス、スコットランド高地地方ではカリアツハ・ヴエーラと呼ばれ恐れられていた。
 ケルトの暦にはベルテナ祭(五月一日)からサウィン祭(ハロウィーン、十月三十日)までを照らす「大きい太陽」の季節と、サウイン祭からベルテナ祭前日までを照らす「小さい太陽」の季節がある。
 サウィン祭からはじまる「小さい太陽」の季節になると、カリアツハ・ヴューラは、夏のあいだ石になっていた姿から息を吹きかえし、手にした杖で秋の葉を叩いて落とし、岩山や川を凍りつかせて生き物を凍え死にさせてしまうのだった。
 春も近いあるとき、カリアツハ・ヴエーラは山羊を守っているうちに、疲れて泉のそばで休んだ。眠っているあいだに雪がとけて泉の水があふれだし、ブランダー渓谷にすさまじい勢いで流れだした。その轟音で目を覚ましたカリアツハ・ヴエーラは水を押しとどめようとしたが、勢いは止まらず、洪水となって平野まで流れだして多くの人や動物たちを潰れ死にさせてしまった。スコットランド西部地方のストラスクライドにある湖ロッホ・オーができたのは、このときだといわれている。
 春になって「大きい太陽」が照りはじめ、ベルテナ祭の前夜になると秋のうちにせっかく落葉させた木々に芽が吹きはじめ、みずみずしい自然がよみがえってくるので、カリアツハ・ヴューラは、不機嫌になってしまう。そして手にした杖をヒイラギの根元に投げ捨て、石に変わってしまうのだ。ヒイラギの根元に緑の薬が生えないのは、こうした理由からだとされている。
 カリアツハ・ヴューラが一つ目なのは、冬の太陽の擬人化だからであるといわれている。とすれば、自然を破壊し動物の生命を滅ぼすとともに、いっぽうでは冬のきびしい自然のなかで動物たちを守護し新たな生命を育みながら守るという、二面的性格をそなえた存在であることもうなずける。
 きびしい自然を支配しているカリアツハ・ヴエーラは、ケルトの母なる女神アヌ、もしくはダーナから派生したものとも考えられる。

『ケルトの妖精』 あんず堂


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