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西洋美術研究者が語る「日本美術は面白い」 №48 [文芸美術の森]

                      葛飾北斎≪富嶽三十六景≫シリーズ

          美術ジャーナリスト  斎藤陽一

                第14回 「諸人(しょにん)登山(とざん)」

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≪富士山頂・止めの一点≫

 この連載:「日本美術は面白い!」シリーズは、2019年1月に「琳派」(No.1~No.34)からスタートしました。
 「琳派」のあとは、これまで、No.35から前回のNo.47までの13回にわたって、葛飾北斎の連作「富嶽三十六景」の中から選んだ作品を重点的に紹介してきました。

今回は、この連作の“止めの1点”と考えられる「諸人登山」(しょにんとざん)を紹介したいと思います。

 「富嶽三十六景」は、当初、36点が制作・刊行されましたが、その後、10点が追加制作され、合計46点の連作となりました。「諸人登山」は、後の10点のグループの中に入っている作品であり、連作中、唯一、富士山頂を描いたものです。おそらくこの絵は、連作の“止めの一点”として構想されたもの、と考えられます。

 画面に描かれているのは、江戸を発ち、はるばると徒歩で山麓までやってきて、そこから難儀をしながら山道を登り、やっと山頂にたどり着いた人たちです。皆、白装束を身にまとっているので、「冨士講」の人たちでしょう。前回、“江戸では「冨士講」が流行していた”と申し上げましたね。

48-2.jpg 現在の富士登山は、軽量で暖かい衣服やしっかりとした登山靴などの装備も整っていますし、その上、山腹の途中までバスに乗り、堅牢な山小屋に泊まってから山頂をめざすという“観光登山”です。

 しかし、この絵に描かれているのは霊峰への“信仰登山”であり、人々は信仰と修行のために、はるばる江戸から歩いてきたのです。

48-3.jpg 現代と違って、ろくな防寒衣も身に着けず足袋はだしで険しい山道を登っていくのですから、山頂にたどり着いた時には、疲労困憊の状態だったことでしょう。夏とは言え、高山の寒さも尋常ではありません。

 北斎は、疲れ切って座り込んでいる人たちや、寒さを避けるために狭い岩室の中で身を寄せ合っている人たちの様子を描いています。画面の右下には、険しい尾根を金剛杖に頼りながら「お鉢巡り」をする人たちの姿もあります。

 全体の画面の左上の空が赤味を帯びているので、間もなく「御来光」を迎えるという時刻でしょう。その一瞬をみんなが待っているのです。

 人々の様子が、結構リアルに描かれているために、“北斎自身も富士山に登ったのではないか”という議論もありますが、連作「富嶽三十六景」を描いた時には、既に70歳を超えていたので、いかに老年に至ってもなお頑健・達者だった北斎と言えども、富士に登るのは無理かと思います。もしかすると若い頃に登ったことはあるかも知れませんが、確証はありません。

 「富嶽三十六景」のそれぞれの作品について、しばしば「この場面は、実際のどの地を描いたのか」とか「北斎は現地に行ったことがあるのか」という議論があります。
(このような議論は、次のシリーズで紹介したいと思っている歌川広重の連作「東海道五十三次」についてもありますし、それだけでなく、浮世絵の風景画ではよく言われることです。)

 それを研究・検討することは、学問的には大いに意味はあると考えるのですが、私たち鑑賞者は、それにあまりこだわり過ぎないほうがよろしいかと思います。優れた研究の成果を享受させていただきながら、それぞれが自由に楽しめばいいのではないか、と思います。

 北斎は、想像力豊かな上に、卓抜した構成力(デザイン力)を持つ絵師です。豊富な学識もありました。そのような特質を最大限に発揮したのがこのシリーズなのですから、それぞれの作品は、北斎が、実際の地についての知見を素材にしながらも、自由に創り上げた絵画世界なのだ、と考えます。現実通りに描いていないからと言って、その芸術的価値が下がるわけではないのは当然です。これは、絵画のみならず、すべての芸術創造に言えることですね。

 少々寄り道をしてしまいましたが、ともあれ、「諸人登山」は、連作中の他の作品と異なって、富士山の姿の全容を描かず、山頂だけを描き、難儀の末にたどりついて御来光を待つ人々を描いた唯一の作品です。それだけに、連作「富嶽三十六景」の“止め”の一点にふさわしい作品と言ってもいいでしょう。

 次回は、葛飾北斎の「富嶽三十六景」シリーズを語る最後の回として、この連作が西洋絵画、特に「印象派」に与えた影響について、あらためて、触れておきたいと思います。

                                                             

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