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批判的に読み解く歎異抄 №18 [心の小径]

異義篇をどう読むか―『歎異抄』の著者(唯円)の立場―

          立川市・光西寺住職  渡辺淳誠 

一『欺異抄』の構成

1、全体の構成

 まず『歎異抄』全体の構成を通説(『欺異抄(文庫判)現代語訳付き』本願寺出版社、2002年、150頁)に従って確認しておくと、『歎異抄』という題号(名)の後、最初にこの部分だけ漢文で書かれた「前序」、次に親鸞聖人の語録である「師訓篇」が一条~十条まで続いています(本願寺派『浄土真宗聖典』831-837頁:大谷派『真宗聖典』626-630頁)。この十条は「「念仏には無義をもって義とす。不可称不可説不可思議のゆえに」とおおせそうらいき」となっており、前回確認した三条同様、「おおせそうらいき」で終わっていて「と云々」が省かれていると見ることができますので、これは法然上人が仰せになったという意味だと受け取ることができます。
 そしてその後、「そもそもかの御在生のむかし…」から十一条の前までのところに「中序」或いは「別序」と呼ばれるくだりがあって、そしてそこに「上人(親鸞)のおおせにあらざる異義どもを、近来はおおくおおせられおうてそうろうよし、つたえうけたまわる。いわれなき条々の子細のこと」とありますが、この「中序」に続き十一条以下にそうした「異義」「いわれなき条々」に対する批判が述べられておりますので、十一条~十八条までを「異義篇」と言うわけです(本願寺派『浄土真宗聖典-註釈版第二版-』837~851頁:大谷派『真宗聖典』630-639頁)。さらにその後、「後序」(いわば「あとがき」)があって、最後に「承元の法難の顛末」(流罪の記録)が付されています(本願寺派『浄土真宗聖典-註釈版第二版-』851-856頁‥大谷派『真宗聖典』 639-642頁)。この「流罪の記録」については載せていない写本もありますが、全体の構成については大体こういう見方が一般的だと言えます。
 『歎異抄』全体の構成に関する通説以外の他の見方については、後ほど時間があれば若干触れるかもしれませんが、今日は詳しく立ち入ることはできません。そこで、配布資料の4-5頁に、通説のほか佐藤正英説1、近角常観説2、西田真因3説3を紹介しておきました。関心のある方は目を通しておいて下さい。

2、「師訓篇」及び「異義篇」の構成と両者の関係

 次に「師訓篇」と言われる最初の一条から十条までは、どういう並びになっているのか、どういう仕組みでできているのかってことについて、関連する四人の学者、すなわち、香月院探励。、妙音院了禅、藤秀曙5、早島鏡正6の見方を配布資料の5-6頁に記しておきましたので参考にして下さい。
 また、「異義篇」についても、どういう順序で並んでいて、どう分類されるかということについて、四人の学者、すなわち妙音院了禅、藤秀理7、梅原真隆8、早島鏡正9の説を配布資料の6-7頁に並べ、関連する書物を注に載せておきましたので、随時参照でぃてください。
 さてここで、構成の問題についてまとまりを付ける意味で、以上のように十八か条と三つの序から出来ている『欺異抄』の一条一条がどういうふうに並んでいるのかということについて、江戸時代後期の大谷派の学者・妙音院了祥(1788-1842年、岡崎出身)の説を図式化して示しておきたいと思います(巻末の【師訓篇と異義篇の関係図式】及び妙音院了祥『欺異抄聞記』1842年『続真宗大系』21巻、1940年、22頁、101-102頁、134頁-135貢、246頁等参照)。実を言いますと、『歎異抄』は唯円が書いたという説を出したのはこの了祥です。この人の師匠で有名な香月院深励(1749-1817年)は『欺異抄』を書いたのは如信だと言っていましたので (香月院探励「歎異抄辞林記上」 1817年『真宗大系』23巻、1930年、383-384頁)、それまでは如信説が有力だったのではないかと思われます。でも、了祥が初めて著者は唯円だということを証明しようとしたのですね。しかも彼は『歎異抄』十八か条をどういうふうに見たらよいのかってことを非常に分かり易く示しました。そして近現代の多くの学者がこの人の説を下敷きにしていますから、大概の説は基本的にその焼き直しだと言ってもよいですね。ですから、この人の著述を読まないと『歎異抄』の基本的なことは分からないのです。そこで、私はこの了祥説に従って巻末の【師訓黛と異義篇の関係図式】という表を作ったわけです。
 それで「師訓篇」がどう並んでいるかと言うと、了祥はまず一条~三条を「安心訓」と呼んでおります。つまり信心について述べたものだということですね。それから四条~十条を「起行訓」と呼んでおります。言ってみれば信心に対してこれは実践ということでしょう。そしてさらに細分化すれば、四条~六条は「利他」について、七条~九条は「自利」について述べているとし、最後の十条を「自利利他円満」として、これが総括的な文章になっているという見方を了梓は提唱しているわけです。今日は「師訓篇」についてはこの程度にしておきますね。
 それから「異義篇」について了禅は図に示したように「誓名別信計」と「専修賢善計」の二つに大別し、十一条(誓名別信章)・十二条(学解念仏章)・十五条(即身成仏章)・十七条(辺地堕獄章)を前者に、十三条(禁誇本願章)・十四条(一念滅罪章)・十六条(自然回心章)・十八条(旛量分報章)を後者に配当しているわけです。今日はこれからこの「異義篇」について詳しく見て行くことにします。(資料略)


名古屋市中川区 真宗大谷派・正雲寺の公開講座より





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