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過激な隠遁~高島野十郎評伝 №40 [文芸美術の森]

第七章 「小説なれゆくはて」 4

          早稲田大学名誉教授  川崎 浹

「金は一切受けない」

六月二十七日
 コブタの処に行って設計図と説明書きを渡す。今の家より三坪ほど広くしてあるが、病気をして動けなくなった時暫くじっと寝ていれば又元気になれるようなときには看護婦に来てもらえて、その時の居室にカーテンを引いて三畳の寝泊まり室を作る必要あるため、自分の寝室に三畳を別にすること、今はトタン屋根だが一番安いのでいいから瓦にすること、潮風がひどいから必要、これらの費用のオーバーする額はこちらで払うこと、(省略)現在の家は地主、材木屋、大工等からひどいことをされた、そのためどうにも住まえないので百日自分で大工をして何とかやっと住まえるようにした。今は老年にもなってそれだけの気力がない、そんな工事に暇と精力を使いたくない。二度とそんな目にあいたくないことを話す。また一切の費用を高島に渡して地主や大工等に払うようにするらしいが、それは断る。金は一切受けない、と言ったら税金の関係があるからとコブタ主張する。公園に建築出願するのだから、またあんな猫の額ほどの地を大会社の東急の名で買ったりすることは東急の名誉と信用にかかわるからできない。道路も四間幅、土地もだれはばからない、正々堂々たる処でなくては手をつけない。だがどこの馬の骨だか分からないようなルンペン絵描きが小さな犬小屋みたいな小屋を建てるとの出願なら必ずすぐわけもなく許可してくれる。高島の名で出すより外にない、万事田端氏が市役所に知人がいて、うまくやってくれるように頼んだから田端氏から出願の印など言って来ると思うのでうまくやれ、と主張する。そんなことなら止めると言ったら、世の中は一人勝手なことばかり言ってもだめだ。凡て相持ちよって事が運び生活が成り立つのだから、ことに東急のような大資本には黙って従うがいい。印を押すなんてわけないことじゃないか、としきりに人生論を始めて滔々としゃべりつづける。ものうくなって帰りがけに、これからが事はむずかしくなるぞ、コブタさんはコブタさんでうまくおやりなさい、と言って出てくる。
 ▲高島さんは帰りがけに「これからが事はむずかしくなるぞ」と言うが、画家はもう半ば、ことによっては新築のアトリエには引っ越さない気持ちがあったのではなかろうか。

 七月十五日、田端旅館に主人の田端氏、画家、コブタ、「番頭」、東急本社員二人、建設業者、大工らが集まり、土地の最終的な選定にとりかかる。いよいよ大がかりになってきた。海のちかくにドライブウェイが出来るからずいぶん便利な処になると、画家が望んでいることとは正反対の考えでわいわいがやがや。しかしかれらが良いと勧める土地が細長くアトリエが入らない。翌日また画家ひとりきて、地点を変更、その旨コブタに伝えに行くと、コブタ再度の人生論で画家をさとし、現金をかれに渡すという。それならこの一件これでうち切ると言って画家は帰宅した。
 その後「番頭」が来て、明後日田端旅館で地主や大工たちがくるので印鑑証明を柑奪するようにと告げたが、画家は同意しない。ここで整理すると、画家が要求しているのは新しいアトリエを現在のものとほぼそっくりに作ること、それを画家の死後、市の行政に寄付するので、生きている間本人は行政の管理人のような形で住みつくこと、画家が現金の授受に直接タッチしないこと。

八月九日
 館山市から建築申請の認可書を渡すから出頭されたしとの通知書来る。放っておく。

『過激な隠遁~高島野十郎評伝』 求龍社


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