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バルタンの呟き №86 [雑木林の四季]

師走の風邪(コロナ)

               映画監督  飯島敏宏

 さあ、いよいよ、師走(しわす)です。光輝ある2020TOKYOオリンピック・パラリンピックであるはずだったコロナの令和2年の暮れが迫ってきましたが、みなさん、ご健在でしょうか。
僕は、いましがた、突如天から吹き颪してきた冷風に、震えあがって屋内に飛び込んできたところです。充分に後期高齢者となった僕は、コロナ感染防止のための禁足と、とうとうやってきた運転免許返上期限の故もありで、ほんの猫の額ほどの我が庭先の、物干し台も兼ねた木製テラスで、この秋続いていたインディアン・サマー、小春日和をいいことに、うたた寝など決め込んでいたのですが、いきなりの北風に、「ボーっと生きてるんじゃねえよ!」とばかりに叩き起こされて、とるものも取り敢えずPCと向きあったところです。
 関東名物、嬶(かかあ)天下に空っ風、とキイを打ったところで、ふと耳に飛び込んできた大きな声で現実に呼び戻されて、察した様子では、お隣の旦那が最近耳が遠くなったのか、大阪弁の大声で奥さんにドヤされて、小声でもぐもぐ口答えしながら、なにやら動き始めたようですが、さいわい信州生まれ甲州育ちのうちのママ(カミさんの事です)は、あれもこれも中止中止で漫然と時を費やしている僕には委細構わずで、むしろ例年よりも活発に、今年一度も出番のなかった客用布団のカバーや、応接セットのカバー、カーテンなどを外して洗濯したり、独楽鼠のように甲斐甲斐しく、年の瀬の準備に励んでくれているのです。
 (僕が近頃急にママへの賛辞を呟くようになったのは、米寿という、いわば冥土への旅の一里塚を超えた昨今、体力、気力に、いささかの衰えを感じはじめたせいもありますが、元凶は、やはり、中国の研究所で取り逃がしたとされるわずか一匹の蝙蝠の体内に寄生していたウイルス、新型コロナウイルスCOVID19のグローバルな拡散に依るものなのです。
 小説「ギブミー・チョコレート!」の出版、既刊随筆「バルタン星人を知っていますか?」のWeb版発行に関連する催し、或いはウルトラマン、バルタン星人関連のイベント、その他映像企画などなど、僕の関わるすべての案件(プラン)が、この、目に見えない、微小なウイルスのために中止になったからなのです。すなわち、一家の大黒柱のつもりが、経木ほどにやせ細って、まるで僕の方が、髪結いの亭主、扶養家族になってしまった)ためなのです。
 そのくせに、昭和の子供、少国民世代の僕は、妙なプライドが邪魔をして、素直に誉め言葉を口に出来ないのです。(もっとも、そんな褒め言葉を口にしたら、ママは、いよいよパパが認知症になった!と仰天するに違いありませんが)
 とにかく師走です。取り敢えず何か、と身を起こした僕ですが、冬の陽ははや傾きかけて、もう、洗ったり干したりなどは出来ません。そこで、PCに向かい、Wordを開き、いわゆる全集中をしかかった処で、今度はむらむらと、怒りが湧いてきたのです。
 昨日の事でした。
「先生、体調は、まあまあ変わりないのですが、最近急に足腰が弱ってきて、何か、サプリメントでも摂った方が良いのでしょうか・・・」
 前面の大型モニターに出ている僕の医療データを見つめている掛かりつけの医師は、医療用のマスクこそ掛けていますが、半袖で、二の腕はむき出しです。
「歩くことです。動物や鳥の脚の軟骨から抽出したサプリメントを口から飲んで、あなたの膝や腰の関節にちゃんと届くと思いますか?」
 僕の指先についていたキャップの機器を取って血中酸素の量を読みながら、
「とにかく歩くことです」
にッと眼だけで笑うと、直ちにPCに向き直ってデータ打ち込みです。助手の看護師さんが、プリントアウトされた血液検査のデータ表と、薬局用の処方箋を出してくれて、終了です。
「次回の予約は、1月8日午前9時です。よいお年を!」
 あ、言われて僕も気が付きました。
「有難うございます。先生も、看護師さんも、ご無事で・・・」
 決して若くはない医師と看護師が、僕には野戦病院の戦士のように映りました。
「ははは」
 声でなく、二人とも、目で笑って診察室から僕を送り出しました。待合室では、採血もあったせいで1時間ほど待ったのですが、診察室での所要は5分に満ちません。
 この五月のStay home!緊急事態宣言の際には、三蜜の病院の待合室が恐ろしくて、8週毎の定期的な通院で処方されていたお決まりの薬を、先生の電話診療で、隣接の薬局に処方箋を出してもらい、薬局から着払い宅急便でわが手に、という便法をスムーズに講じて頂いたおなじ病院で、第二波と言われる今回は、
「出来ません。あの時はOKでしたが、当局から禁じられて、出来なくなりました」
 電話口で、にべもなく断られて、こわごわ診察を受けに来たのでした。電話口の事務職の方の声に、うんざりした感があったのは、この問答が数多いのに違いありません。あの間、幾何かの病院で診察料の不正計上でもあったせいでの通達かもしれません。が然し、今回の感染拡大は、専門家会議でも前回に勝る緊急事態で、しかも、重症化の率の高い高齢者への感染を防ぐことが最大喫緊事項であると叫ばれている状況なのに、です。
 僕の血圧に変化はありません。もちろん熱も平熱です。食欲もあり、何の自覚症状もありません。不要不急の外出を控えて、別居はもちろん、同居する家族との交わり、会食も避けて、とまで要望する現在なのに、患者本人の直接の来院が無ければ、恒常通院している、しかも比較的直近の血液ほかの検査データがある患者との電話診療を禁じた当局とは、保健所なのか、市なのか、何省なのか知りませんが、これこそが、「国民の命とくらしを守る内閣」と鸚鵡よろしく連呼し続ける「ゴーツー!ゴーツー!」内閣に斟酌した通達に違いないのです。
 
 ところで、12月の別称である師走の語源については、そろそろ80年前にもなる小学校で習ったのか、厳しい躾だった仙台藩出自のお祖母(ばあ)さんに教わったのか、もう、覚えていませんが、「関東名物嬶(かかあ)天下に空っ風」などといった言葉と一緒に頭の中に浮かんでくるところを見ると、どうやら、学校教育の項目ではなかったようです。
 この所急に、政治、社会の報道よりも食べ物と、旅行と歌とお笑いに偏向した感じのテレビの席で、近ごろ量産気味の落語家の真打が、
「師が走るったって、うちの師匠や学校の先生が走るんじゃありませんよ。今どきの學校の先生は、師というより、友達と言ったほうが良いくらいに、生徒たちと一緒になって、年がら年じゅう走り回ってるんすから・・・」
噺のまくらで、こんなことを言って笑わせて、この場合の師とは、仏教の師、つまり、平生は厳めしく泰然自若で納まり返っているお坊様までが、大晦日を控える12月には、檀家を訪ねて走り回る、という喩えです、といいながら、
「うちの師匠は、此処だけの話、走ろうったって、もう、足腰立たないんすから・・・」
と落とす通り、平生は、泰然として威厳を保っているお坊さんまでが、12月になると年末までに諸事を済ませようと走り回る、というのが語源のようです。
 なにはともあれ、新型コロナウイルスCovid 19の第二波に怯える師走を迎えて、Go to!をめぐって政府はてんてこ舞いの現状ですが、乞い願わくは、その中心におわす師が、「国民の生命とくらしを守る」ために走り回るのは結構ですが、Go to death!の暴走、迷走、狂走はしてほしくないものです。遁走は、まあ、ないかも知れませんが・・・
 コロナ蟄居で退屈を極めている方たちに向けて、なにか、心温まる呟きでも、とWordを開いたのですが、降りかかっていた言葉のミューズ神が、何れかに吹き飛ばされて、怒りの閻魔大王が、老いた僕を捕らえにかかって・・・


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