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医史跡を巡る旅 №78 [雑木林の四季]

江戸の疫病 疱瘡神 其の参

               保健衛生監視員  小川 優     

感染症対策は船の運転、「操舵」によく似ています。船は自動車のように、ハンドルを切ればすぐ曲がるというわけでなく、舵を切ってから舵が効き始めるまでに時間がかかります。大きな船なら尚更で、見張りからの報告が入り、船長が判断し、操舵手に伝え、操舵手が舵を回し、機器に信号が伝えられ、舵が動き始め、効果的な水流が発生してようやく進路がゆっくりと変わります。
現在の新型コロナウイルス感染状況はいわば、ワッチ、つまり見張りは早くから多数の氷山に気付いて、盛んに警告を発していたのに、船長はホールでのダンスに夢中で判断もせず、操舵手も「神のみぞ知る」と責務を放棄していた、という状態です。すでに氷山で舷側をこすり浸水が始まっていて、もはや無傷にやり過ごすことはできなくなりました。しかもこの期に及んでもまだ、舵は大きく切られていません。
この先、氷山に正面からぶつかるか、それもひとつで済むのか、何度もぶつかるのか。いずれにせよ重要区画である機関室への浸水、つまり医療崩壊だけは何としてでも避けないと、「日本丸」そのものが危ぶまれることとなります。

週末に90を過ぎた私の父が、一度だけ体温が37度を超え、いつもより痰がからむようになったため、念のためにかかりつけの医師のもとを訪れようとしました。元々かかりつけの医師(せんせい)は、地元で医師会長を務めているだけあって、新型コロナウイルス感染症に対する予防対策と、拡大防止のための医療活動に積極的な方でした。今回父の受診にあたり、「軽い風邪かな」ぐらいかなと安易な考えでいたのですが、予約の段階で症状を説明すると、「自院の発熱外来へ来てください」とのこと。自身の仕事に直結して通常の状態でないことは理解していたつもりでも、どこか他人事のような気でいたことにはっとさせられました。車のまま院外に設置された発熱外来へ案内され、防護衣姿で現れた先生に思わず、「ご面倒をおかけして申し訳ありません」と謝ってしまいました。それでも先生は「いえいえ、こちらこそきまりとはいえ、お手数をおかけして申し訳ありません」と絵顔で仰っていただけたのが、せめてもの救いでした。そう、医療現場はすでに緊急事態なのです。「コロナは風邪だ」と豪語された方がいらっしゃいましたが、その風邪で気軽に受診もできない、そういう状況です。
なお父は、炎症反応もなく、血中溶存酸素も普段通りで、新型コロナの検査は不要と判断されて、無事帰宅しました。

さて前回の続き、取手疱瘡神石塔巡りの後半となります。

「疱瘡神石塔 井野屋敷集会所」

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「疱瘡神石塔 井野屋敷集会所」 ~茨城県取手市井野 井野屋敷集会所

常磐線の線路を渡り、住宅街の中にあるのが井野屋敷集会所。文化2年(1805)の銘があり、駒形をした石塔で上部に注連縄。男神は立像で幣束を肩にかけ、女神は座像で皿を持っています。青龍神社の石塔によく似ています。

「疱瘡神石塔 青柳鹿島神社」

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「疱瘡神石塔 青柳鹿島神社」 ~茨城県取手市青柳 青柳鹿島神社

この辺りは目標になるものも少なく、迷いながらのうろうろ歩きです。鹿島神社の入口にある疱瘡神石塔は、鷲神社のものと同じく神像が上部に刻まれ、下部に「疱瘡神」の文字があります。天保3年(1838)の造立、男神、女神ともに座っており、男神の持っているのは幣束ですが、女神は両手にそれぞれなにか持っているように見えます。

「疱瘡神石塔 井野川辺集会所」

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「疱瘡神石塔 井野川辺集会所」 ~茨城県取手市井野 井野川辺集会所

取手では神社の境内に集会所がある場合が多いようです。一方で、集会所の広場に石塔が集められているのもよく見かけます。元々神社とセットだったものが、合祀政策で神社がなくなったのでしょうか。こちらの石塔は、駒形注連縄ありで、男女両神ともに座像です。ただし多くの石塔と異なり、男神女神の位置が反対で、男神が左、女神は右側に座しています。持っているものは男神が幣束、女神は皿を持っています。寛政12年(1800)造立。

「疱瘡神石塔その1 青柳八幡神社」

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「疱瘡神石塔その1 青柳八幡神社」 ~茨城県取手市青柳 青柳八幡神社

しばらく歩くと、集落を抜けて再び田畑が広がります。田畑の真ん中にうっそうとした木々が茂り、社があります。八幡神社には疱瘡神石塔がふたつあり、こちらが新しい方で天保3年(1832)造立。駒形で注連縄があり、神像は上部にあります。二神ともに座しており、男神は幣束、女神は両手に徳利状のものを持っているように見えます。

「疱瘡神石塔その2 青柳八幡神社」

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「疱瘡神石塔その2 青柳八幡神社」 ~茨城県取手市青柳 青柳八幡神社

もうひとつのものは文化6年(1809)造立。同じく駒形ですが、男神が立っていて、女神は座像。男神は幣束ですが、女神の持っているのものはお皿でしょうか。

「疱瘡神石塔 小泉鹿島神社」

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「疱瘡神石塔 小泉鹿島神社」 ~茨城県取手市小泉 小泉鹿島神社

利根川に向かって歩いていくと、田んぼの真ん中にお社が見えます。建て替えられてからまだそんなに年月が経っていないように見えます。敷地内に一列に、庚申塔などの石塔が並べられています。その中の一つが疱瘡神。駒形で上部に注連縄、注連縄には大きめの垂(しで)が付けられています。造立は文化11年(1814)。二人とも座像で男神は幣束を、女神は両手に徳利のようなものを持っています。

「大聖寺不動堂」

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「大聖寺不動堂」 ~茨城県取手市小文間

疱瘡神ではありませんが、麻疹疱瘡に霊験あらたかとして信仰を集めたお不動産があると聞いて、西へ足を延ばします。もともと大聖寺という寺院がありましたが、本堂は取り壊され、不動堂だけが残っています。祀られているは不動明王で胎内には麻疹鎮めの密文が収められているそうです。

「麻疹疱瘡開運不動明王 道標」

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「麻疹疱瘡開運不動明王 道標」 ~茨城県取手市小文間

利根川へ向かって参道が伸びており、かつて栄えていたことがうかがわれます。街道とぶつかる場所、参道の入口に「麻疹疱瘡開運不動明王」と刻まれた道標が建っています。画像右手、奥に続くのが不動堂への参道になります。

「麻疹疱瘡開運不動明王 道標拡大」

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「麻疹疱瘡開運不動明王 道標拡大」 ~茨城県取手市小文間

石碑の文字を拡大してみます。「麻疹・疱瘡」の文字がくっきりと刻まれています。このお不動さん、麻疹、疱瘡といった疫病除けに後利益ありとして、近隣から多くの参拝があったとのことです。

長くなりましたので、再び次回に。


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