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梟翁夜話 №76 [雑木林の四季]

秋狩りの一日

              翻訳家  島村泰治

コロナ禍があらうとなからうと、時は秋、わが庵の最寄も葉々が赤み黄みを帯びて如何にも季節の風情、だが哀れ色合ひがいまいち冴へない。さて、ならば秋を探しに何処かへ参じやうかと衆議一決、栃木は足利へ車を馳せた。このところ読み継いでゐる太平記所縁の織姫神社の裏手に、格好な紅葉の名所があるとの愚妻の一言が決め手で、遽に決まった足利行だ。幸ひ天気は良し仕事具合も文句なしとて、早朝(とは云へ、他家には遅い朝の)九時過ぎに勇んで庵を出た。

実はこの足利行には伏線があって、秋狩りとは言へかし餌狩りでもあった。餌狩りとは、目当ての織姫神社の階の下に粋な蕎麦屋があり、ここで評判の鰹節の水出汁の滓が鶏用の餌に貰へる曰くが愚妻の経済感覚にピタリと云ふ経緯から、このたびもそれを頂戴しやうとの狙いがあったからだ。いわば、秋と餌を両狩りせんとの思惑、考へやうによっては実(まこと)に賢い足利行ではあった。

早めの出駕で僅かに時間を持て余し、途次あちこちに寄り道して織姫神社の社下に来てみれば、駐車が数台待ちの状態。蕎麦が売り切れまいかの心配から途中の寄り道を今更に後悔、それでも運よく間に合って蕎麦屋へ。
ここの蕎麦は屋主の蕎麦造りの蘊蓄がただものではなく、十割は言はずもがな折角の更科に色付けをするなどの酔狂振りで名代だ。流石に蕎麦は上手く、水出しも乙で並んで待つだけの味だ。大盛りに並を平らげて、目指す水出汁の滓を頂戴して店を出る。

神社に詣でて、さて紅葉はと車を回せば、裏手の紅葉場にも駐車場があり結構混んでゐるらしい。行くか止めるか思案の末、折角だからと待ち車の尻に寄せて空きを待つ。見渡せば流石は紅葉場、其処彼処に紅葉っぽい色模様が見え隠れする。散歩道の紅葉はさぞや、と待ち遠い。

やがて、車を止めマスクやらの身支度をして散歩道へ。だらだら坂を下れば早くも目前に如何にも紅葉鮮やかな秋の色が広がる。道はつづら織りで眼下に降る道に落ち葉が深い。ナナカマドは盛り木に若木が混じって勢いがある。なるほど、名所と云ふほどのことはある。若木が伸びれば、ここは名うての紅葉の名所になる。どうやら桜やら何やら、他の季節の呼び物も備へてゐるらしく、足利はどうやら観光のメッカにもなるかも知れぬ。

この紅葉の散歩道、延距離は如何程だらうか。膝を労っての私の散歩行は、人には言へぬ緊張感もある。それと知られぬ歩きで、降っては登り、登っては降る一時間余、兎も角歩き通した。これは強がりではなく、何と、道中をわが膝たちが見事に歩き通したのだ。坂道もラフな手造り階段も、途中一息入れながらではあれ、ずっと歩き通した。手術からほぼ一年半か、どうやら人並みの歩きができる自信がついた感がある。いずれは高野山のこともある。そのためにも、この日の紅葉歩きは意義があった。

庵に辿り着けば、秋の日は疾うに釣瓶に落ち、野菜どもの水遣りを急いで荷を解いた。蕎麦に鶏餌に紅葉、と中々得るものの豊かな一日ではあった。

島村・秋狩りの一日.jpeg


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