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日本の原風景を読む №14 [文化としての「環境日本学」]

潜伏キリシタンの「あまりにも碧い海」 -平戸 1

  早稲田大学名誉教授・早稲田環境塾塾長  原 剛

平戸島根獅子-殉教の浜
「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺跡」一二か所が、二〇一八年世界文化遺産に選ばれた。平戸島からは「春日集落と安満岳」「中江ノ島」が登録された。山岳や島を聖地や殉教地として崇敬しながら、ひそかに信仰を続けた集落とされる。
 棚田をめぐらせた穏やかな地勢の春日集落の北東、照葉樹林の分厚い闇に閉ざされた急な山道を五島灘へ向い、海際まで急降下した浜辺に、根獅子(ねしこ)の集落が北向きに散らばる。
 筆者はこの五〇年間、釣り場を求めて年に一度は根獅子を訪れている。とはいえ大方の時間は景色に見とれていて、佐世保在住の釣友中村鐡男さんから 「なんば考えよっと。まじめに釣らんば」と叱られる。しかし、禁教の時代にすべての住民がキリシタンであったと伝えられるこのひそやかな入り江で、碧べきの五島灘のうねりに対していると、ある言葉がどうしても蘇ってくる。
「人間がこんなに哀しいのに主よ海があまりに碧いのです」。長崎市の西郊、角力灘を眼下に外海の断崖に面して建つ、作家遠藤周作の『沈黙』の碑に刻まれた潜伏キリシタンの感慨である。
 どのような状況でこれらの言葉が発せられるのか、解釈はさまざまであろう。だが人間、神、自然との交情を真正面から突き合わせ、対置させた感性の極、日本人の土地神とキリスト教との習合への直観のひらめきの、究極の表現であると筆者はその現場で考える。
 根獅子では一五六六(永禄九)年に六人、一六三五(寛永十二)年に七十数名の潜伏キリシタンが満潮時には水面下へ没する小さな岩礁に引き立てられ斬殺された。
 二十数年の間、日本で司祭と信徒を統率してきたフェレイラ教父も、長崎で「穴吊り」の拷問を受け、棄教に追いやられる。苦難の果てに教父を訪ねた青年司祭と教父は対面する。
 ―この国は沼地だ。どんな苗もその沼地に植えられれば根が腐りはじめる。我々はこの沼地に基督教という苗を植えてしまった」。青年司祭は怒りを込めて反論する。「その苗が伸び、葉をひろげた時期もありました」。教父は応える。「だが日本人がその時信仰したものは、基督教の教える神ではなかったとすれば・‥‥・」「この国の者たちがあの頃信じたものは我々の神ではない」『沈黙』)

碧い海と神
 静かな根獅子の入り江も、その向こうの五島灘の海原も、海はあまりにも碧い。海は漁(すなど)るキリシタンたちがいのちを繋いできた天恵の場であった。時には荒神と化し、神社に祀り理不尽なその怒りを鎮めなくてはならなかった。海は彼らの神だった。
 秀吉、家康の禁教令に追い詰められたキリシタンの、いまわの際の視界を領したのは、「こんなに哀しい」彼らの眼前にうねる「あまりにも碧い海」であった。
 カトリック教徒であった遠藤周作は記す。「救いを求めた信者に神は沈黙し続けた」。しかしキリストはその時、「私は沈黙していたのではない。一緒に苦しんでいたのに」 (『沈黙』)。
 作者の心根は誠に優しい。聖母マリアの母性の愛を思わせる。だが筆者は、潮流渦巻く、平戸瀬戸に面し、日本で最初に建てられた平戸教会に建つ石文の厳しい言葉にたじろぐ。
       
       神
  かれらを試み
  爐の中の金の
  如くためされ
  ふさわしき
  犠えとして
  受け給ひき  (「智恵の書」三ノ五)

海-キリスト者たちの原風景
 根獅子の浜で思うことは、沈黙するイエス・キリストと五島灘の晴朗な海とが、海辺の潜伏キリシタンによってその生死の限界状況で対置された時、である。そこでは神と自然(海)が、いずれも彼らの原風景でありえたであろうキリシタンの心の動きを思わざるを得ない。
 豊臣秀吉によるキリシタン禁教令(一五八七年)、徳川家康の禁教令(一六一三年)に抗し、根獅子の潜伏キリシタンたちは山岳信仰、仏教、神道の神仏習合の信者を装って弾圧に耐えた。根獅子の旧瀧山家は、玄関・戸口の土間に「荒神様」を、六畳の居間に仏壇を、隣り合う奥座敷には「伊勢神」をそれぞれ祭った。「キリシタンご神体」は主神を装った伊勢神の大きな神棚の傍に、「ご神」として秘匿されていた。荒神様も伊勢神も、日本の神はアニミズムに由来する山や海の自然神である。
 信徒たちは浜辺の岩礁で処刑され、天国(パライソ)へ逝った。岩礁は「昇天石」と呼ばれ、浜辺は聖地とされた。海の端に教会の痕跡をとどめるものの、今は岩礁に連なる海の神社によって護られている。

『日本の「原風景」を読む~危機の時代に』 藤原書店


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