はるかなる呼び声 №6 [核無き世界をめざして]
はるかなる呼び声⑥ 関千枝子から 中山士朗様
エッセイスト 関 千枝子
東京付近はいい天気が続き、気持ちいい日が続いています。私も元気で忙しくしていますが、やはり、年の正、諸事、やることが遅く、能率は悪いのですが。
こんな日々、身体というより背中の渇き、中山さんも前に言っておられた老人性のかゆみ、その後いかがですか。私も少し、かゆみを感じることがあるのですが、独り者だと手が後ろに伸びにくく、クリームを塗るのも大変です。でも、皮膚科の医者に言ってみましたら、スプレー式の薬を処方してくれました、なるほど、これは便利。それでもかゆみが止まらなければ抗ヒスタミン剤を飲む。我慢せず、色々言ってみるものですね。医者、薬代もばかにならない世の中ですが、被爆者手帳があるのはありがたいことで、被爆者の先輩たちの長年の闘いに感謝です。
前の便で報告しました通り、被爆関係の「活動」続いております。コロナでいろいろな催しが中止になった今年の前半を思うとウソのようです。
先日は延期になっていた女子学院の中学に行ってきました。この学校は私も含めた事前勉強の後、ヒロシマ修学旅行をなさるのですが、「三密」で、宿泊なども従来どおりにできるかどうか。でも、私の話はできました。
この学校は中学の1,2,3年に話をすることになっているのですが(だから、私はこの学校に4年に一度うかがっています)、今年は三密対策で講堂で話を聞くのは3年生だけ、1,2年生は部屋でオンラインで聞くというのです。それでさんざん考えたあげく、私の体験は20分ほどにし、後は被爆者の絵を見せながら説明しました。これは成功したようです。講堂の3年生も、絵が始まるとよく集中して話を聞いてくれました。75年間、平和が続き、親どころか祖父祖母も戦争を知らないというのが、今の中学生、話だけでは実像を想像できないようで、絵の持つ力をあらためて感じました。
この後、小さなパンフが届きました。これは昨年8月、都下調布市で行われた「第32回調布平和の集い」での私の講演を文章に起こしたものですが、この時も前半、私の体験、後半被爆者の絵という構成をとっています。調布の時は時間がたっぷりありましたので、女子学院の講演の倍はしゃべっています。これを文章にし、被爆者の絵も黒白ですが、印刷、講演の再現に、気を使われたのですが、私が、何気なくしゃべっている言葉、例えば、少国民とか、隣組とかの言葉も、今の人は、わからない、と実に詳しい(注)を付けて下さった。それもスマホで簡単に調べるというようなことでなく、専門書にあたり、丁寧に説明してくだった。このため大変制作に時間がかかり一年かかって完成したのです。小さなパンフですが、本当に熱い思い尾がこもっていて、ただ感謝です。
パンフが届いた翌日、前便で書いた、卒論でヒロシマのことを書いているH君と会うので、このパンフを持ち、さらにこれも前の便で書いたFさんの手作りペンダントをしていきました。Hさんの卒論の前半、相当思い違いがあって、私の意見をメールで言ったのですが、彼はもっと詳しく聞きたいようで4時間以上も話しました。彼、小学校教員希望ですが(H君の違憲では小学生にこそ、本当の平和教育が必要だそうです)、小学校だけでなく中学や高校の教育実習で忙しく、これから卒論に集中だそうです。卒論は来年一月初めに提出すればいいのですが、コロナ騒ぎで手で持参することも(大学はまだ封鎖状態のようです)、郵送も駄目で、オンラインで提出しなければいけないのですって。1,2枚のレポートならともかく相当の枚数のある卒論をオンラインなんて驚きますね。送りに失敗したら大変なので、締め切り最終日でなく、前の日に出してちゃんと届いているかどうか確かめると言っていましたが、こんなことで神経使って大変ですね、本当にこのコロナ騒ぎ、何だかおかしいですね。
女子学院の中学生にもH君にも強調したのは、ヒバクシャにもいろいろな考えの方がいるが、とにかく一致しているのは、「あんな爆弾はいらない」ということ。あれは人類と共存できない凶器。どこの国の人の上にも落としてはならないのです。長年の被爆者の思いが結実したのが核兵器禁止条約です。その条約の会議にも参加せず、核を持つ国との橋渡しをするなどとうそぶき、強大な同盟国の核の壁(核抑止力)に隠れ、お粗末な核軍縮決議案を出し世界の物笑いになっている政府を許すことはできません。今、日本政府に「核兵器禁止条約の署名批准を求める署名」の運動が起こっています。私はこれに大賛成ですが、まだ広がりが悪く、知らない方が多いので、コロナで、外に出ることも控えているような方々(昔の友)たちに手紙で署名を呼び掛けています。これ、今はやりのネット署名もできるようですが、それも知らない(であろう)人びとに手紙を送りつけています。私の最後の直接運動になるかも、などと思っています。個人でやれることは知れているかもしれませんが、何人かの人から返事がき、その方からその方の友人知人へと輪が広がっています。そんなことをしても、と、馬鹿にする人もいますが、もし日本が条約に署名批准したら、核を持つ国にも、ほかの核抑止の壁の中にいる国にも、相当、影響を与えると思いません?
こんな思いで、一晩過ごし、今朝(17日)、新聞を見たら、津田櫓冬さんの死亡が書かれていて驚きました。津田さんは画家ですが、立派な活動家で、「第32回平和調布の集い」の代表でもあります。私が調布に話をしに行く事になりましたのは、津田さんと私のご縁からでした。津田さん去年はあんなにお元気だったのに。私より若いのに、と悲しくなりました。戦争を知る平和活動家がまた一人亡くなった、活きている者は頑張らないと、と思います。
こんな日々、身体というより背中の渇き、中山さんも前に言っておられた老人性のかゆみ、その後いかがですか。私も少し、かゆみを感じることがあるのですが、独り者だと手が後ろに伸びにくく、クリームを塗るのも大変です。でも、皮膚科の医者に言ってみましたら、スプレー式の薬を処方してくれました、なるほど、これは便利。それでもかゆみが止まらなければ抗ヒスタミン剤を飲む。我慢せず、色々言ってみるものですね。医者、薬代もばかにならない世の中ですが、被爆者手帳があるのはありがたいことで、被爆者の先輩たちの長年の闘いに感謝です。
前の便で報告しました通り、被爆関係の「活動」続いております。コロナでいろいろな催しが中止になった今年の前半を思うとウソのようです。
先日は延期になっていた女子学院の中学に行ってきました。この学校は私も含めた事前勉強の後、ヒロシマ修学旅行をなさるのですが、「三密」で、宿泊なども従来どおりにできるかどうか。でも、私の話はできました。
この学校は中学の1,2,3年に話をすることになっているのですが(だから、私はこの学校に4年に一度うかがっています)、今年は三密対策で講堂で話を聞くのは3年生だけ、1,2年生は部屋でオンラインで聞くというのです。それでさんざん考えたあげく、私の体験は20分ほどにし、後は被爆者の絵を見せながら説明しました。これは成功したようです。講堂の3年生も、絵が始まるとよく集中して話を聞いてくれました。75年間、平和が続き、親どころか祖父祖母も戦争を知らないというのが、今の中学生、話だけでは実像を想像できないようで、絵の持つ力をあらためて感じました。
この後、小さなパンフが届きました。これは昨年8月、都下調布市で行われた「第32回調布平和の集い」での私の講演を文章に起こしたものですが、この時も前半、私の体験、後半被爆者の絵という構成をとっています。調布の時は時間がたっぷりありましたので、女子学院の講演の倍はしゃべっています。これを文章にし、被爆者の絵も黒白ですが、印刷、講演の再現に、気を使われたのですが、私が、何気なくしゃべっている言葉、例えば、少国民とか、隣組とかの言葉も、今の人は、わからない、と実に詳しい(注)を付けて下さった。それもスマホで簡単に調べるというようなことでなく、専門書にあたり、丁寧に説明してくだった。このため大変制作に時間がかかり一年かかって完成したのです。小さなパンフですが、本当に熱い思い尾がこもっていて、ただ感謝です。
パンフが届いた翌日、前便で書いた、卒論でヒロシマのことを書いているH君と会うので、このパンフを持ち、さらにこれも前の便で書いたFさんの手作りペンダントをしていきました。Hさんの卒論の前半、相当思い違いがあって、私の意見をメールで言ったのですが、彼はもっと詳しく聞きたいようで4時間以上も話しました。彼、小学校教員希望ですが(H君の違憲では小学生にこそ、本当の平和教育が必要だそうです)、小学校だけでなく中学や高校の教育実習で忙しく、これから卒論に集中だそうです。卒論は来年一月初めに提出すればいいのですが、コロナ騒ぎで手で持参することも(大学はまだ封鎖状態のようです)、郵送も駄目で、オンラインで提出しなければいけないのですって。1,2枚のレポートならともかく相当の枚数のある卒論をオンラインなんて驚きますね。送りに失敗したら大変なので、締め切り最終日でなく、前の日に出してちゃんと届いているかどうか確かめると言っていましたが、こんなことで神経使って大変ですね、本当にこのコロナ騒ぎ、何だかおかしいですね。
女子学院の中学生にもH君にも強調したのは、ヒバクシャにもいろいろな考えの方がいるが、とにかく一致しているのは、「あんな爆弾はいらない」ということ。あれは人類と共存できない凶器。どこの国の人の上にも落としてはならないのです。長年の被爆者の思いが結実したのが核兵器禁止条約です。その条約の会議にも参加せず、核を持つ国との橋渡しをするなどとうそぶき、強大な同盟国の核の壁(核抑止力)に隠れ、お粗末な核軍縮決議案を出し世界の物笑いになっている政府を許すことはできません。今、日本政府に「核兵器禁止条約の署名批准を求める署名」の運動が起こっています。私はこれに大賛成ですが、まだ広がりが悪く、知らない方が多いので、コロナで、外に出ることも控えているような方々(昔の友)たちに手紙で署名を呼び掛けています。これ、今はやりのネット署名もできるようですが、それも知らない(であろう)人びとに手紙を送りつけています。私の最後の直接運動になるかも、などと思っています。個人でやれることは知れているかもしれませんが、何人かの人から返事がき、その方からその方の友人知人へと輪が広がっています。そんなことをしても、と、馬鹿にする人もいますが、もし日本が条約に署名批准したら、核を持つ国にも、ほかの核抑止の壁の中にいる国にも、相当、影響を与えると思いません?
こんな思いで、一晩過ごし、今朝(17日)、新聞を見たら、津田櫓冬さんの死亡が書かれていて驚きました。津田さんは画家ですが、立派な活動家で、「第32回平和調布の集い」の代表でもあります。私が調布に話をしに行く事になりましたのは、津田さんと私のご縁からでした。津田さん去年はあんなにお元気だったのに。私より若いのに、と悲しくなりました。戦争を知る平和活動家がまた一人亡くなった、活きている者は頑張らないと、と思います。
2020-11-27 11:06
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