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コーセーだから №69 [雑木林の四季]

コーセー創業者・小林孝三郎の「50歳 創業の哲学」30

         (株)コーセーOB  北原 保

外資上陸に騒がず
守りの経済は終わった

韓国と台湾が追い上げ

 化粧品業界は国際化時代を迎えた。とはいえ、完全に資本自由化されたわけではない、この1~2年アメリカの化粧品業界の大手といわれるエイボンの日本進出が決まり、業界に大きな話題を呼んでいる。
 エイボンといえば、資生堂やコーセー、カネボウなど日本の化粧品の大手5社をプラスした資本力の会社、訪問販売を主とした販売方式で世界をまたにかけているだけに、どう出てくるか無気味である。業界の大手では「エイボンが上陸してきても販売組織は、『金城鉄壁』で影響はない」といっているが、果たして最後に笑うものは誰か。
 5年前に自由化が騒がれたとき、化粧品業界は『日本人の肌には日本の化粧品を』と国産愛用を叫んだが、これは将棋の勝負でいえば『千日手』というやつ、その手はもうつうようしない。すでに外壁は破られている。
 東京化粧品工業会会長の職にありリーダーであるコーセーの小林社長の意見は「自由化は10年も前からいわれたこと、今になってあわててもしかたがない。そのためにコーセーは『血の通う』取り引きをしてきたんだからね。日本の制度品各社もその通り。一朝一夕ではどうにもなりませんよ」と万全の構えである。
 この9月(1969年)のこと、小林社長は東南アジア4ヵ国、韓国、台湾、香港、フィリピンを回ってきた。市場視察という名目で回ったのだが実際は各国の独立心に燃えた現状をみて、日本の明治維新を思い浮かべたという。
 「国際時代というとすぐ日本ではアメリカしか考えない、やれ資本自由化といって大騒ぎをするが、韓国や台湾のあり余っているエネルギーをみて、こりゃあ、将来日本は韓国や台湾から逆輸入される立場にあると感じました。油断できませんよ」(小林社長)
コーセーでは、韓国と台湾に進出を計画中であるが、台湾などは、化粧品の機械は日本の半値で買えるということだ。「いや、うかうかしていられないですよ。もう後のランナーがどんどん追いついてきていますからね」ところが、フィリピンに行ったら様子が違っていた。技術の差が歴然とあった。そこで小林社長はその昔、日本とアメリカがこの独立国に残したものを考えた。「日本は韓国や台湾に技術や教育を残したが、アメリカはフィリピンに市場しか残さなかった。これが違いですね」というのだ。
コーセーはハワイ、ロサンゼルスにも進出を計画中である。世界へのコーセーは1970年以後のことか。
 「国際化時代なんだから、エイボン一社のことばかりを考える守りの経済は終わった。これからはもっと積極的に海外に進出を考えなきゃだめです」
 小林社長がアルビオンを創立したりロレアル社と技術提携したのも、国際化時代の布石であった。
 アルビオンは小売店の支持と、小売店の外売指導も板について着々と成長して、大手に次ぐ実力をもった企業になったし、コーセーのロレアルの売り上げは年々200%以上の伸び率、美容業界では最高の成長、コーセーにとっては大きな体質強化のプラスになっている。
 かんじんなコーセーは全国6000店の小売店を擁し、そのうち約2000店がコーナーを設けている。小売店の中にはコーセーとの取引契約を希望する店が多いが、小林社長は数を増やすばかりでなく、質と数とを慎重に考えている。これも資本自由化対策だった。
 「寡占化だ自由化だとやたらに拡張しているときは、社員にいうんです。『勝ってカブトの緒を締めよ』とね、これが永年の経営の勘なんですよ」と次の飛躍台と考えている。
 現代は大変なスピード時代、情報産業の時代といわれる、例えば化粧品企業と弱電企業を比べたら、その技術革新は、比較にならない差はあるが、しかし、明治以来化粧品をつくってきた小林社長にすれば、いくら宇宙時代になっても女性は美しくなりたいという欲求に変わりないという。要は「人間の脳がいかに開発されていくか、これが経営の問題なんだ」というのだが……。
(日本工業新聞 昭和44年11月14日付)

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狭山工場でファンデーションの製造ラインを視察する小林孝三郎社長(1969年)


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