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ケルトの妖精 №39 [文芸美術の森]

トロー

           妖精美術館館長  井村君江

 暗い夜だった。人間から恐れられていたトローがひとり、「オレもそろそろ結婚して子孫を残しておくころかな」と地下の棲み家から出かけてきた。
 トローが人間に恐れられていた理由のひとつは、結婚相手として人間の女を選ぶからだった。トローの世界には女のトローというものがいなかったのだ。
 このあたりでは、日が沈んで人気のないさびしい場所を歩いていると、泣いたり身悶えしたりしているトローの姿を見ることがよくあった。たしかに、まわりに女がひとりもいないというのでは暗くて陰気な性格にもなるだろうし、夕暮れどきのさびしさに叫び声もあげたくなるだろう。
 その夜、トローが木かげにうずくまって待っていると人間の女が通りかかったので、卜ローはその女と結婚することにした。
 トローに見初められた人間の女は、赤ん坊のトローを産むと、役目がすんだとばかりにさすぐに死んでしまった。相手がトローだから結婚生活を楽しめる期間がきわめて短いのはかまわないして、この世にトローをひとり誕生させてしまうことにはたまらない思いがしたにちがいない。
 不思議なことに、この結婚で女の子が生まれることはなかった。そのためにトローの社会には女がいなかったのだから、トローは人間の女と結婚するしかなかったのだ。
 子どもが生まれると、父親のトローは息子を成長させるまではぜったいに死ぬことがなかった。しかし、子どもが一人前になるとトローの寿命がくるということだった。
 ところで、ある独り者のトローが命に限りのあることを恐れていた。
 するとトローのなかにも知恵のあるものがいたらしく、
「結婚して子どもをつくらなければ命は永遠であるはずだ」と言った。
「それならずっと独身で通せばすむこしこだ」と、独り者のトローは考えた。
 しかし、こういう不届きな考えをするトローはほかにもたくさんいたらしく、トローの社会ではそのようなことが頻繁に起きないように取り決めができていた。
 それは、人間の花嫁をいつまでも連れてこないでいると、トローの社会から追放される、というものだ。
 このことを知っていた独り者のトローは、どうせ追放透れるのならと、さっさと逃げだして廃墟となっていた土塚にひとりで住むことにした。
 こうして死ななくてすむことになった独り者のトローは、数世紀にわたってその土塚で孤独に生きていた。
 いつのまにか、このトローのことはシェットランド諸島の人々に知られるようになった。
「廃墟の土塚になにかわからない生き物が住んでいるようだ」とか「土を食らっているようだ」という噂は、数世紀ものあいだ、シエツトランド諸島の人々の恐怖の的となった。トローの食べる土はほんものそっくりに型どった魚や鳥や赤ん坊で、それぞれはんものの香りと味があったといわれていたからだ。
 ところが、数百年もひとりで生きていると、さすがの独り者のトローも孤独の生活に耐えられなくなって、人恋しい気持ちが頭をもたげてきたらしかった。近くに人間が来るとうれしそうだった。それでも人間とのつきあいにまでは発展しなかったのは、やっぱり結婚をして死にたくはなかったからだ。
 そこにトローの社会の秘密を知りたがっていたひとりの魔女がやってきて、この独り者のトローに言い寄った。
「わたしの魔術で永遠に死ぬことのないようにしてあげるから」
 ともちかけて、結婚を承諾させた。
 ところが、独り者のトローの心をとらえたこの魔女も、トローとの結婚生活では幸せだったわけではないらしかった。というのは、この魔女もこっそりと魔女の母親を訪ねては、「母さん、娘さらいのトローがやってきて悪だくみをするから、世間知らずの娘たちには気をつけてやらなきゃあだめよ」と注意したり、娘たちがトローの罠にはまらないように、魔術を防ぐ方法を教えたりしていたと、語り伝えられているからだ。
 それでも魔女とトローのあいだには、ガンファーとフイニスという子どもが生まれた。
 フイニスは、死にかかっている人と同じ格好で現れ、死を告げる妖怪になった。
 ガンファーは、人間の体に入って肉体に結びつく機会をたえずうかがっている、今日で言うアストラルになった。

◆ トローは、優雅で小さな生き物という、妖精の属性のひとつであるかわいらしさからは遠い。小柄で灰色の衣服をまとい、人に見られると自分たちを見つけた運の悪い相手をにらみつけながら後ずさりしていくのだが、逆に人間にしっかり見据えられると動けなくなってしまうこともある。
 日が暮れてからしか地上に出てこず、もし運悪く日がのぼってから一瞬でも地上に残っていたら、日没までそのままの姿で身動きできずにとどまっていなければならない、という。
 太陽の光に弱いシエツトランド諸島のトローは、J・R・R・トールキンの『ホビットの冒険』に登場する北欧のトロルの性質に取りいれられている。

『ケルトの妖精』 あんず堂

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