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じゃがいもころんだⅡ №35 [文芸美術の森]

何がこわい?

            エッセイスト  中村一枝

 誰でもそうだろうと思うが、ある日、鏡をみると、見知らぬ老婆が映っているおどろき。“いつ、どうしてこうなったのか、” 当たり前のことなのにどうも納得できない。たしかに去年までは、ラケットを握ってテニスをしていたし、駅へ行く道を半分駆けるように歩いていた。今のようにスニーカーを引きずるように歩いていたわけではなかった。それなのに鏡の中の老婆は見れば見るほど自分なのだからこんな不思議な話はない。歴代の年よりはみんなこういう経験を経て老人として納得していったのかと、漸くわかってきたものの、未だに鏡を見て首をかしげてしまう。
 私の父は六十六才で亡くなったから、長い病床でやつれてはいたが、今思えば老人という面影はあまりなかった。私は八十をとうに過ぎても、歩くことも、食べることも、日常に変化がないから、何の危惧も感じず、たかをくくっていた。歯はもともと不摂生がたたって、かなり若い時から入れ歯だったが。ずーっと努力とは反対のことを体にしてきたつけが廻ってきたのは自業自得以外のなにものでもないが、少し後悔している。
 ところで自分が変わる前に世の中のすがたが変わってしまったのには、また驚いた。中身はともかく、一見、元気そうで若々しかった安倍さんが突然やめて、急に実用そのものといわんばかりの菅さんが首相に登板してきた。そして、今や世間はパソコンを通り越してスマホの時代である。スマホに縁のない自分にはなんとも味けない。幸い、今のところ、日本語は以前通り通用しているようだが、このところの世の中の変わりようにはちょっと驚いている。
 考えてみると今の場所に家を建てて住み始めてからでさえ七十年以上もたつのだから、世の中が変わるほうが普通の話なのだ。多分、老いてゆくというのは、あっ、あっと驚いているうちにまわりが変わっていくことなのだとやっと判ってきた。
 新型コロナウイルスとかいうたちの悪い伝染病が町中に蔓延しているというから、老人はひたすら、マスクをして家の中にこもっている。その間にも、世の中が変わったようだ。
 戦争が始まったときは待ったなしで、余裕もなかった。あっという間に疎開先を見つけ、半強制的に地方に越していったのだった。それに比べれば、コロナは避ける自由も、蒙る自由もあるだけありがたい。
 戦争が始まったとき小学二年生だった私にとって、戦争を恐れ、戦争を嫌う気持ちは生涯つづいていくだろう。それが、日本国民の遺産となって、国民すべてが、どんなことがあっても戦争は起こさないと心に決めて欲しいと願っている。戦争の脅威をいやというほど身につまされた我々世代の教訓をこれだけは変わらずにずっと日本には持っていてほしい。
 ところで、菅さんは世の中の半分が女性だということを認識しているのだろうか。女性の活躍がこんなに進んでいる今の時代になっても菅さんの周りだけはなにもかわっていないように見えるのだが。

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