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西洋美術研究者が語る「日本美術は面白い」 №46 [文芸美術の森]

        葛飾北斎≪富嶽三十六景≫シリーズ                                        

                         美術ジャーナリスト 斎藤陽一

     第12回 「東海(とうかい)東海道程ヶ谷(どうほどがや)道程ヶ谷」

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≪直立する並木が生み出すリズム≫

 この絵は、葛飾北斎作「富嶽三十六景」中の「東海道程ヶ谷」。程ヶ谷は現在の横浜市保土ヶ谷区にあたり、東海道の宿場があったところ。

 保土ヶ谷宿を通り過ぎると、間もなく権太坂に差しかかる。勾配の急なこの坂を上り切ると、そこから下り坂の品濃坂となります。そこは、富士山を眺める絶景ポイントとして知られていました。古文書には、このあたりの街道は古い松並木が続くところ、と記されています。

 北斎が描いたのは、まさに松並木と富士山を組み合わせた風景です。そこに、旅を行く人々の様子を描き込んでいます。左には、籠に乗る女性と二人の駕籠かき。急な坂を上って来たので、駕籠かきの一人はもろ肌を脱いで汗を拭いており、もう一人は草鞋のひもを結び直している。右側には旅を急ぐ虚無僧、中央には馬に乗る旅人と馬子が。人々の中で、真ん中に描かれた馬子だけが富士山を眺めており、その視線が私たちを富士山へと誘う。

 この絵の面白さは、右から中央へ、中央から左へと、凹状に大きくカーブを描く街道に、高く伸びた松の木を垂直に並べた構図です。松の木が規則正しく林立する様子を、真横から描いているのです。

 その結果、画面は松の木によってリズミカルに分断され、その「透かし格子」の間から富士山の姿が見え隠れするという、面白い趣向となっています。

 北斎は、もうひとつ、仕掛けています。
 松の葉っぱの描き方に注目・・・ひとつひとつのかたまりを、同形の小さな円として描き、あたかも小さなゴムまりがいくつも弾んでいるようなリズムを生み出しています。これらの小さな円たちはまた、街道が作る大きなカーブ(円周)とも呼応しています。すなわち、この絵には、垂直線が奏でる規則的なリズムと、円が作り出す弾むようなリズムとが共鳴し合う、という構図が仕掛けられています。

 近代までの西洋の風景画では、長い間、ルネサンス期に確立した「遠近法」の呪縛の中にあったため、木々の群れを真横から一本一本垂直に描いて画面をいくつにも分割してしまう、というような描き方はほとんどありませんでした。

 ところが、19世紀後半、伝統的な絵画観からの脱却をめざす印象派の画家たちは、西洋絵画の伝統とは異質な日本絵画の特質の中に、新しい絵画への突破口をいくつも発見しました。北斎が描いたこのような絵は、彼らに、絵画革新への大きなヒントを与えたのです。

46-2.jpg 今回は、モネとセザンヌを例にとりましょう。

 先ず、右図は、1891年、51歳のモネが描いた「四本のポプラ」。

 岸辺を水平に、ポプラ並木を真横からほぼ等間隔で描き、大胆に画面を分割した構図です。水平線と垂直線とによる、思い切った画面構成です。

 モネは印象派の中でもとびきり熱心な浮世絵愛好家であり、収集家でもありました。このような画面構成の面白さを浮世絵から学んだと思われます。

 次の例は、セザンヌ。

46-3.jpg 右図は、1886年頃にセザンヌ(47歳頃)が描いた「ジャ・ド・ブッファンのマロニエの並木」。

 セザンヌにとって、故郷の南仏プロヴァンス地方にあるサント・ヴィクトワール山は「心の山」でした。生涯にわたって、この山を描き続けました。
 これもそのひとつ。

 季節は晩秋か初冬でしょうか、すっかり葉を落としたマロニエの並木を真横から描き、幹と枝が交錯する隙間からサント・ヴィクトワール山の青い姿が見えています。これもまた、北斎の絵「東海道程ヶ谷」に見られる、透かし彫りの合間から富士山の姿を見るような画面構成ですね。

 屈折した性格のセザンヌは、モネやピサロ、ゴーギャン、ゴッホのように、手放しの浮世絵礼賛の言葉を残しませんでしたが、印象派の仲間たちとの交流の中で、浮世絵の持つ数々の特質を充分に知っていたものと思われます。

 次回は、北斎の連作「富嶽三十六景」中の「五百らかん寺さざゑどう」とモネの絵との関係を探りたいと思います。

                                                                                

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